五条の橋のたもとには

 五条の橋のたもとには、鬼が棲むとの伝えがある。だからというわけでもないのだけれど、ちょうど上から見下ろせる、河原の砂利のはじっこに、街路灯に照らされて、白い紙人形とちょっとささくれた藁人形が落ちていた。
 もちろん誰も見下ろしはしないが、それぞれ彼らには言い分があるようで、人目につかぬようこっそりと物陰に隠れると、おたがいこう切り出した。
「お主は晴明様のところのか」
「お主は道満様のところのか」
「そうや」
「そうとも」
 晴明様のところの、と言われたほうは紙人形である。道満様の、と言われたのは藁人形だ。二人は質問に胸を張って答え、しげしげと互いの姿を眺めあい、それからぷっと吹き出した。
「にしてはなんとも」
「がさつなつくりよ」
 笑った後にむっとした。切り紙細工の胸元に、墨で書かれた呪文がある。黒々としてはいるが間違っていた。二つ折りの後ろ側は破けている。
「失礼千万ぞ。人のことが言えるか、ぬしは」
 藁細工は中途半端だ。慣れない人間が作ったのか、腹のところがささくれだっている。両手両足は長さが違う。それを言われ、藁人形は憤慨した。
「ぬしこそ呪が違っとる。そんな者が晴明様のところのものか」
紙人形がやりかえす。
「道満様がわら細工をつこうたなど、聞いたことがないわ」
「なんだと」
「やるか」
少しの間、橋の下で睨み合うと、藁人形が言い出した。
「ええい、ではどちらがすごいか比べてみようではないか」
 紙人形が乗った。
「望むところよ。ぬしの鼻っ柱、半分折りにしてやるわ」
 紙人形と藁人形、同じように腕組みをして、相手を吹き飛ばしてやるかのように、自信満々で高笑いをした。

 さて、なんでも名前がないのは不便なものだ。そんなわけでここではそれぞれの主張に乗っ取って、紙人形をせーまん、藁人形をどーまんと名づけて話を進めることにしよう。
 一番手はどーまんである。彼はちょっと短い右腕を伸ばし、橋の下から一軒の民家を指差した。
「あの家を燃して見せる」
「できんと思うが見といてやる」
せーまんが鼻でせせら笑う。どーまんは砂利の上に座り、呪文を唱え出した。すらすらと、と言いたいところだが、本当はつっかえつっかえである。
 途中でこんな風に紙人形に聞いた。
「もう燃えたか」
「まだじゃまだまだ」
それを聞いて、また一生懸命唱え出す。
「もう燃えたか」
「まだじゃぜんぜん」
 再度、どーまんはこりもせずに聞いてみた。
「もう燃えたか。もういい頃合いかと思うんじゃが」
「まだじゃまだまだ。そんな赤い顔をしてもだめじゃ」
「そうかのう。わしは暑くなってしもうたわい」
 はたはたと、せーまんは暑そうなどーまんに風を送ってやった。湯気の立ちそうな赤い顔して、どーまんはさっきからうなっていた。
「ほんとか。言われてみりゃ、ぬしの頭から湯気が上がっとる」
 どーまんがちょっと長い左腕で、自分の後ろ頭を触った。じじじ……、と音がしてどーまんの顔がさらに赤くなった。
「おっと、こりゃあ煙草じゃあないかい」
 さぐった藁の左腕には、煙草の吸殻がくっついてきた。どうも橋上の通行人が投げ捨てていったようであった。
「あちちち、火がついとる」
この後に及んで、やっとせーまんも気がついた。
「いかんいかん、どーまんが火事じゃ」
 あわててせーまんはどーまんを、目の前に見える鴨川に放り込んだ。放り込んでしまってからおおい、大丈夫かあ、と声を掛けたが、どーまんは火あぶりの水びたしで返事もできず、ただ冷たい川の上を流れていった。

 ぬしはひどいことをする、とせーまんはどーまんに文句を言われたが仕方がない。天気はいまいち、機嫌はななめ、そんな午後に、彼らは橋の下で空を見上げてため息をついていた。
「降りそうじゃの」
どーまんが言うと、せーまんが答える。
「わしは湿気は嫌いじゃ」
よしんば降り出したとしても、この両名が傘など持っているわけもない。二人で仲よく、不満げに空をにらんでいる。舗装された橋の上は明るく、人々は笑いさざめいて歩いてゆく。
「そうじゃ」
 せーまんがはたと膝を打った。
「なんじゃい」
だるそうにどーまんが言う。
「わしがあの雲を追い払って見せる」
「本当かいな」
「本当じゃ」
せーまんは胸を張った。意気ようようとやる気に満ちて、さてとうっとうしい曇り空を眺めわたす。
「なんの、ぬしよりわしの方がよっぽど上じゃ。黙ってそこで見とるがいい」
「できんと思うが見といてやる」
 紙人形の言いぐさに、どーまんは少しむっとしたが、おとなしくそこに座り込んだ。どのみち藁細工のどーまんにしても、こう湿気ては具合が悪い。体のどこかに黴でも出そうな、そんな調子の悪さがある。
 そんな相方には頓着なく、せーまんは空を見上げて呪文を唱え出した。えいえいと大げさな身振りをつけて、合っているのかどうかよく分からない九字も一緒に切っている。
「せい!」
 そして最後に気合を入れた。ただならぬその迫力に、はたで見ていたどーまんは、思わず拍手をしてしまったほどであった。
「どうじゃ!」
「見事じゃ。ぬしがそれほどのものとは、わしはちっとも思わんかった」
 感心しきり、どーまんが心のそこからそう言ったときだった。さっきからの曇り空は一斉に暗くなり、ごろごろという天からのうなり声がした。
「ややや」
 驚いているひまはない。急転直下、京のまちは豪雨になった。橋の下から外に出ていたせーまんは、あっという間にぺしゃんこになり、泥水に茶色く染まってしまった。
「たいした法力じゃ、ほんまに」
 どーまんはぶつくさ言いながら、水を吸って半透明になってしまったせーまんを、破かないように気を付けながら、そっと橋の下に引っ張り込んだ。

 川の水で泥を洗い落とされ、コンクリートの護岸の上で日干しにされつつ、せーまんが辿りついたのは、この姿がいけないのではないかという結論だった。同じことはどーまんも思ったらしく、そこらで取ってきたひしばの葉で焼け焦げを補修すると、ほかほかとしたコンクリの上に座り込み、こんな風に言い出した。
「なあ、道満様も晴明様も人間じゃ」
「そうじゃなあ」
「そこで、わしらも人間になったらええ。したらわざ比べもうまくいくんと違うかいな」
 なるほど、とせーまんは、さんさんと陽の当たるコンクリートの上から起き上がった。べりべりと音を立てて、白い半紙がはがれてくる。半分とけてしまったすそまわりを気にしながら、ゆっくりとその場に立ちあがった。
「それはいい考えじゃ。わしもそう思っていたところよ」
「なら決まりじゃ」
 どーまんは秋晴れの中、河原から橋の方をふりかえった。もう少ししたら日が暮れる。それからが勝負だった。
「あそこから人をひとり、川に落とす。先に落とせたほうが勝ちじゃ。それで決着をつけるというのはどうじゃ」
うむうむ、とせーまんがうなずいた。
「よかろう。わしもさっさと勝負をつけたい。では今晩、人の姿を借りてあそこに立つ。それでよいな」
 いままでとはちょっと違う。紙人形と藁人形、それぞれ厳粛に顔を見合わせ、ほんの少し身震いをして、今夜のことに思いをはせた。

 月は名月、夜風は涼しい。右目にとびこむのは地下鉄の駅、左にあるのは料亭の明かりだ。地面はしっかりとアスファルトで固く、水の音など、行き交う自動車で聞こえはしない。そんなこうこうと明るい夜とあまりに多い人に圧倒されて、ただ呆然と橋の上に立っている若者が二名いた。
 片方は茶色い長髪に茶色い肌、よく見れば髪を止めている緑色の紐は、細長い植物の繊維である。もちろん藁人形の化けた姿で、黒い綿ニットを着込み、丸い目をして落ち着かなくまわりを見渡していた。
 となりの抜けるように白い肌の若者は紙人形だ。印象深い黒い目が、同じように落ち着かなく動いている。着ているものは白いTシャツで、あの呪文がやや色あせて、服の正面に大きくプリントされていた。
「こりゃまた……」
「どうしたもんかの」
 二人が途方に暮れているのにはわけがある。そろそろ日付も変わるというのに、いっこうに人通りが少なくならないのだ。明かりの数も減ってこない。橋の上と下とでは、まったくの別世界だった。
「もういいかの」
「まあ、よかろ」
 やっとこの二人が動き出したのは、午前一時をまわってきてからのことだった。夜はなんとかそれらしくなり、人通りもさっぱりと減ってきた。覚えのある水音が聞こえてくれば、両名とも元気になって橋の真ん中めざして歩き出す。
「あの女はどうじゃ」
「よかろう」
 こんな時間だというのに、若い女がふらふらと、一人で五条の橋を渡ってきた。足元はおぼつかなく、右手にはしゃれたデザインの紙袋、左手にはどこぞのブランド鞄を提げている。ちょうどいいわい、のんきなコンビがそう思った矢先、女は橋の真ん中へんで立ち止まり、ひょいと川べりをのぞきこんだ。
 彼らがなんにもしないうちから、荷物をその場に置いてしまうと、彼女はふわりと欄干によじ登った。
「ちょ、ちょい待ちや!」
「飛び込んだらあかんで!」
これでは勝負にも何にもならない。二人はあわてて走り出した。
「なんじゃ、どうした」
「まだ飛び込んだらあかん」
「ほっといてよ!」
 二人がかりで女を引きずり降ろしてみると、どうにもこうにも酔っ払いである。ミニタイトからきれいな足を見せて、ぺたりと彼女はそこに座り込み、こんどはおいおい泣き出した。
「ねえさん、どうした」
「話してみいや」
 あまりに突然の出来事に、どーまんもせーまんも、女を囲んでああのこうのと話しかける。自分達が何しにここにきたかなど、きれいに忘れはてていた。
「あいつ……あたし、せっかく京都まで来たのに……もういいって、ひどくない? ねえ?」
「ねえさん、どこのお人じゃ」
 せーまんがたずねた。東京、と彼女は答える。はるばると新幹線でやってきたのに、恋人には新しい女がいて追い返されたという話を、いつのまにか二人は一生懸命聞いてやっていた。
「ねえさん美人じゃ」
「死んでしまうなどもったいない」
 涼しい水音が聞こえる中をこういわれて、若い女は泣き顔で首を振った。
「……別に死のうと思ったわけじゃないんだけど……でも、なんか、飛び降りてもいいかなって……」
いかんいかん、とどーまんが言う。酔ってるからじゃ、とせーまんがいい、二人でそうだとうなずきあった。
「知っとるか、ねーさん。ここには魔物が棲むんじゃぞ」
「呼ばれて落ちたら難儀なことじゃ」
どーまんもせーまんも、真面目な顔で女に言う。自分らが人でないことなど、すっかり棚に上げての発言であった。
しかし彼女はそんなことは知らない。若いくせに妙なことをいう男の子たちだと思っただけである。けれども二人が本当に心配そうに言ってくれているのを見て、取り乱していた気分が落ち着いた。
「あんた達、おもしろいね」
 彼女は自分を取り囲む男の子達に向かって、おかしそうにちょっと笑った。もう二人とも大騒ぎである。
「や、ねえさん笑った」
「よかったよかった」
 話を聞いてもらい、酔いもさめて彼女はそこから立ち上がった。どーまんもせーまんもつられて一緒に立ち上がる。スカートのほこりを払い、上着の汚れを点検して、女は二人にこう言った。
「ごめんね、ありがと」
なんのなんの、と調子よくどーまんが答える。じかに置いてしまった荷物を拾い上げ、せーまんが彼女に渡す。
「あ、これあげるよ」
 女は紙袋の方は受け取らず、そう言ってせーまんに返してきた。
「なんじゃ」
不思議がる色白の若者に、彼女はこう説明した。
「これさ、あいつが好きなんだけど……もういらない。わるいけどもらってよ」
それじゃ、と言ってどーまんがさっと横から紙袋を取った。せーまんが顔には出さぬまま、腹の中であきれ返る。
「そこのル・グランテのジェラードだからおいしいよ。ドライアイス入ってるけど、溶けないうちに食べてね」
 ごめんね、ありがとう、と礼を言われ物までもらって、どーまんとせーまんはすっかりいい気分で彼女を見送った。その姿がはるかに見えなくなってから、いったい何だと紙袋を開ける。中にはカップ入りのアイスとスプーンが二つずつ、ちょこんと丁寧に収まっていた。
「食い物じゃいうてたな」
「なんか知らんが食うか」
彼女を助けたその場所で、どーまんとせーまんは座り込んで、プラスチックのふたを開けた。
「ル・グランテってなんじゃ」
「しらん」
ひとくちなめて、せーまんが氷菓子じゃ、と言った。
「ジェラードってなんじゃ」
「しらん」
 何も知らなくても、バニラにキャラメルソースを練りこんだ、冷たいアイスクリームはおいしかった。もう一口なめて、二人はさっきの彼女に何をしようとしていたか思い出した。
「うまいな」
「そうじゃな」
しばらくして、どーまんがぽつんと言った。
「ねえさん、いい人が見つかればよいな」
「そうじゃなあ」
せーまんがあいづちを打つ。わざ比べなどもうどうでもよかった。
 月は名月、夜風は涼しい。紙人形と藁人形、橋の上で街路灯に照らされて、さっきの女のことを思い、ふんわり甘い氷菓子をしみじみと食べていた。

 

   

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