1.港町のキール・デリ

 

キール・デリとサイレーン

 今回はキール・デリと黒うさぎのブラッキィが、とある港町に滞在した時の話をしよう。
 いまや彼のトレードマークとなってしまった黒うさぎだが、本人はけっこう苦労させられたようだ。なにしろ背中のリュックにはブラッキィが入っているためにろくな荷物が入らないし、右手には命よりも大事なヴァイオリンを下げているときている。段々と名が知られてきた頃にはバスの車掌もタクシードライバーも文句を言わなくなったが、最初のうちは改札口での駅員との揉めごとはしょっちゅうだったと言う。
 この黒うさぎ、客寄せにはもってこいだったが、なにしろ他には何の役にも立たない。それでいいかげん頭に来たこともあったようだ。しかし今回はそのおかげで助かったのだから、世の中なかなかうまくできているものでもある。
 さて、そこは海にほど近い場所で、小さいながらも漁業がさかんで賑わっていた。もちろん人の出入りも多かったから、彼らは漁師たちが集まる酒場でずいぶんと景気よく稼いでいた。
 そんなある日、彼のヴァイオリンに聞き入っていた一人の男が、かたわらの酔っ払いに向かってこんなことを言い出した。
「人魚とどっちがうまいかねえ。いや、比べちゃいけねえよな」
 なかなか聞き捨てならないことをいうものである。キール・デリはその曲を終えた後、すぐ近くまで行ってくだんの男に話しかけた。
「なんだい、人魚って」
 他の男達もわらわらと集まってくる。キール・デリのこの発言はいたく彼らの好奇心を刺激したらしく、粗末な木のテーブルのまわりはあっというまに人で埋まってしまった。
「人魚ねえ……」
 そう言った当人はしきりに頭を掻いている。つまらないことを言ったと思っているらしかった。それでも人だかりとキール・デリの顔を交互に眺めて、とうとう話をはじめた。
「あそこの三角岩を知っているかい」
 周囲の男達がうなずいた。キール・デリも、知らなかったがうなずいた。
「あの場所では、ある決まった時期になると歌声が聞こえて来るんだよ」
 酒も手伝っているのだろう。話し出すと男の舌は滑らかになった。
「それに聞き惚れて飛び込むバカがいるんだ。いや、本当だよ」
 いつの間にかまわりの喧騒はおさまり、みな真剣な顔で話を聞いている。キール・デリはテーブルの上でつけ合せのレタスを齧っているブラッキィを確かめ、男に先を進めるようにうながした。
「俺達は知ってるから、この時期は誰もあの場所に近づかない。でも毎年数人、必ずはじめて海に出た若い奴らがやられるんだ。必ず、な」
 つい先日にも十五才の少年が岩場に引き込まれたばかりだった。男達はそれを思い出し、その場の雰囲気はいっぺんに重たくなった。
「けどよう」
 湿った空気を追い払うように、そのうちの一人が言った。
「パナタのやつは帰ってきたじゃねえか。おととしの事だけどな」
「そういやそうだ」
 酒場の空気は、さっきよりいくぶんましなものになった。
「この世のものとは思えないような音楽だと言ってたな」
「耳に水が入って聞こえなくなったんだろ。それで助かったって」
「天上の音楽とか言ってたな。あのパナタがよう」
 ざわざわとした喧騒がゆっくりとよみがえる中、キール・デリは結構な額であったその日の売上げを全部、四角い木のテーブルの上にぶちまけた。
「誰か連れて行ってくれ」
 ブラッキィはレタスを齧るのをやめ、鼻をひくひくさせながら彼の顔を見上げた。
「あんちゃん正気か」
「やめとけ、死ぬぞ」
 男達が驚いて彼を見る。
「帰ってきたやつがいたんだろ」
 彼が言うと、まあな、と人だかりから返事があった。
「そんな音楽なら一度聴いてみたい。俺よりもすげえんだろ? だったらなおさらだ」
 いや、まあ、と話をしていた男が困ったように言った。兄ちゃん落ち着けよ、とも彼に言った。
「俺はキール・デリだ」
 高らかに彼は宣言した。
「そんな岩場の人魚なんかにやられるもんか。それよりも誰も船を出してくれないのか。この金全部払うって言ってんのによ」
 しょうがねえなあ、という声が上がった。さっきから話を聞いていた、少し年かさの、この漁場を仕切っている長だった。
「俺が行く。ほかの奴らよりいくらかましだろう」
 一同がほっとしたのが分かった。
「だが音楽家の兄ちゃんに言っとくが、俺は手前までしか行かねえぞ。後は自分でボートを漕いで行け。それで無事だったらまた迎えに行ってやる」
 異存はなかった。キール・デリは再びレタスを齧りだした黒うさぎをリュックに詰め、ヴァイオリンを丁寧にケースにしまうと、その親父に付いて酒場を出て行った。

 漁船の船長は耳栓をしている。万が一、人魚の音楽を聴いてしまったら戻ってこられなくなるからだ。一方のキール・デリは手荷物を船室に置き、塗装のはげかけたベンチに座って、くつろいだ顔で波頭なんぞを眺めていた。
「兄ちゃんよう」
 船長が耳栓を片方外し、ドアを半開きにして彼に話しかけてきた。退屈だったと見える。いいかげんに片手でハンドルを操りながら船長は言った。
「そのちっこい黒うさぎはなんだい。何でそんなもの連れて歩いてるんだ」
 ブラッキィはこの時、彼と一緒に外のベンチで飛び散る波しぶきを浴びていた。運転席のドアが開いたのを見るや、黒うさぎは一目散に中に駆け込んでいった。
「おい、ブラッキィ」
 キール・デリは黒うさぎの後を追いかけて運転室に入った。ブラッキィは船長の顔を見上げ、それから彼のほうを見て言った。
「おれ、波はきらいだ」
 船長が目を丸くする。
「しゃべるのか、こいつ」
 黒うさぎはつぶらな黒い目で船長を見上げた。
「こいつじゃない。ぶらっきぃだ。わかったか」
 うさぎのくせにたいした物言いである。船長は驚いたあと吹き出してしまった。ブラッキィはと言うと、大真面目な顔をして船長を見つめている。
「本当にうるせえなあ。食ってばかりいないでたまにはなんかの役に立てよ」
 そう言ってキール・デリは黒うさぎをつかんで抱き上げた。それから運転席の空いている場所を探して座り、ブラッキィを膝にのせた。
「なんだ、大変だな」
 笑っている船長に、キール・デリはこう言った。
「スピリットだよ。旅の途中で拾ったんだけどうるさくてしょうがないんだ」
 ははあ、と船長は納得した顔をした。
 スピリットとは細工物の小魔だ。小動物の脳にチップを埋め込み、会話や簡単な用が済むように仕立ててある。この時代に有閑層ではやっていた人造生物のひとつだったが、ブラッキィはどうも他の小魔たちとは様子が違っていた。
「ひろったんじゃない」
 やれやれ、とキール・デリは主張する黒うさぎに視線を落とした。黒うさぎは彼の膝から飛び降り、ぱたぱたとはねて行って後ろ足で立ち上がった。
「おれ、きーるといっしょに行くんだ。いかなくちゃいけないところがある」
「……だってよ」
 船長がげらげら笑った。それから目的地に近づいたことに気づくときっちりと耳栓をし、彼らに不用意に動き回らないように注意を与えてから、用心深く漁船のスピードを上げにかかった。

 船長は一人と一匹に小船を与えて、自分は安全な場所まで退っていった。キール・デリは浮きのついた腰紐をくくりつけられ、ゆるやかな波に揺られながら、小船の上でじっと座っていた。
 彼のヴァイオリンは船長が預かっていた。本当は持ってきたかったのだが、もし水にでも浸かったらおおごとである。値の張るものでもあるし、大事な商売道具ということで「壊しても責任は負えない」という船長の一言で取り上げられてしまっていた。
 もう日暮れである。たいていの船はとっくに引き上げてしまっていて、海上には自分達が乗ってきた船の影が遠く見えるだけであった。ブラッキィといえば魚臭い無骨な四角いカゴに押し込められ、不満げに鼻をひくひくさせている。
「なあ、きーる」
「なんだよ」
 ブラッキィが入っているのは撒き餌用の網カゴである。魚臭いのはしょうがない。このカゴにも浮きと紐が結んであって、もしもの時には船長が二本の紐を引っ張って彼らを回収する手はずになっていた。
「人魚ってなんだ? おるごーると似てるのか?」
 キール・デリの心中は想像に難くない。何にも知らないわりに口だけは達者な黒うさぎに、彼は大きくため息をついた。
「人魚っていうのは、上半身が美女で下半身が魚なんだよ。分かったか」
 ブラッキィが首をかしげる。それからははあ、という顔になった。
「そうなのか。てれびみたいなものか」
「テレビ……」
 以前どこかでそんな番組を見たのだろう。キール・デリはそういうことにして、追求するのをやめることにした。その時である。
「きーる。海中てれびだ」
 ブラッキィの言う方向を見ると、確かに波間から黒いものが見えていた。キール・デリは息を詰めて、じっとその物体の動きを追った。
「タコじゃねえかよ」
 いかにもそれは、海面を漂う木切れにからみついたタコの坊主頭であった。タコはしばらくうねったかと思うと、やがて木切れと一緒にどこかへ流れていった。
「きーる、きーる」
 またもやブラッキィが彼を呼んだ。
「きーる。空中てれびだ」
 カモメでも飛んでいるのだろう。彼はそう思い、あまり期待もせずにそっちを見た。
「……なんだありゃ」
 登りかかった月を背景に、巨大な水柱のようなものが立っていた。それはだんだんとこちらに向かって移動しており、その中心からは何か振動音のようなものが聞こえてきていた。
 大きく水面がうねる。ボートの上で転がりながら、彼はその水柱の正体を見極めようと目をこらした。
「きーる! どこいく! どこいくんだ!」
 ブラッキィの叫び声でふっと我に帰ったとき、彼は波にもまれながら命綱に引っ張られていた。やや離れたところに彼の乗って来たボートが浮かんでおり、ブラッキィは辛うじて転覆しなかったボートの上でカゴに閉じ込められていた。
(あれは……)
 物思いにひたる暇もない。危険を察知した船長はすさまじい勢いで命綱をくくったリールを回しており、彼らをその場から移動させにかかっていた。

 周囲のやれやれという視線の中、キール・デリは不機嫌な顔をして酒場の椅子に座っていた。完全に彼の敗北である。だから言わんこっちゃないという、やや冷ややかな雑音も耳に入らない風情であった。
「あれは見たことがある」
 しばらくたってから、彼は集まった男達にこう言った。まだ髪も乾いていない。着替えだけはしたもののろくにシャワーも浴びていないため、彼の全身からは潮くさいにおいがしていた。
「見たことがある?」
 彼はうなずいた。ブラッキィの方は寒さで完全にのびてしまっている。彼の足元で湯たんぽをくるんだタオルを詰めた箱にもぐりこんで、ぐっすりと眠り込んでいた。
「完全に同じものじゃないし、なんであんなところにあるのか知らないけどな」
 充分に一同の好奇心をそそってから彼は言った。
「もう一度船を出してくれ。そうすれば分かるはずだ」
「また行くのか」
 キール・デリがこんなことで言い出したことを引っ込めるはずもない。ざわざわと酒場の空気が揺らいだ。命知らずの発言にあきれたようでもあった。
「しかたねえな。けどよ、明日にしてくれ。今日はもう行けねえぞ」
 くだんの船長が苦笑いした。

 次に彼が船に乗り込んだときに持って来たのは、ヴァイオリンの鉄弦をありあわせの棒に張った、巨大で細長い弓であった。彼は船長に無線機の調子を確かめてもらい、船体に大きなスピーカーをつけさせた。
 不審がる人々に、彼はこう断言した。
「絶対大丈夫だ。失敗なんかするもんか」
 本当かどうかは分からないが、なにはともあれ出発である。船長はキール・デリと黒うさぎを船に乗せ、前回と同じ場所に向かった。ただしブラッキィの方は小船には乗らず、船で待機ということになった。
「せんちょう、せんちょう」
 この前と同じくらいの時刻だったが、いっこうに海面に変化はない。キール・デリは例の弓を持って遠くにいる。だんだん退屈してきたブラッキィは、今現在の事態を無視してあれこれと船長に話しかけていた。
「せんちょうはずっとせんちょうなのか」
 耳栓を片方外し、船長はこう答えた。
「十二年前から船長だ。その前は若僧だったんだ」
 あんたのご主人みたいな生意気なガキだったよ、そう言うと彼はげらげらと笑った。ブラッキィが言った。
「きーるはちがう。しゅじんじゃない。きーるだ」
 船長はおや、という顔になった。
「ぶらっきぃにはしゅじんはいない。うさぎにはいる。おれ、ずっとうさぎだった。今はちがう」
 不意に波が大きくなった。船長は離れた場所にある小船の様子を確認する。それから無線機のスイッチを入れた。
 一方、キール・デリは前方の水柱に向かって弓を構えて立っていた。この前と同じように、水柱の中心からは振動音が聞こえている。彼は耳をすまし、かなり大きな手持ちの弓を爪弾いた。
 二度、三度とピッチを確かめ、弦の上部を指先で押さえて仔細に音色を調節する。そして思い切りよくその弓をはじいた。
 一瞬のうちに振動音はかき消され、ばしゃりと音を立てて前面の水柱が消えた。同時に船のスピーカーからもくだんの音が響き、再度、水柱が形作られるのを妨害した。
「もっとこっちだ! 早くしろよ!」
 キール・デリの叫ぶ声を小船に取り付けられたマイクが拾う。船長は全速力で船を近づけ、彼が言ったとおりのものが海面に浮かんでいるのを確かめた。
「たいした兄ちゃんだ」
 船長は狙いを定めて、カジキ漁に使われるモリのスイッチを押した。頑丈なロープをつけられたそれは正確に目標物に向かって飛んで行き、黒っぽい金属製の物体に突き刺さった。
 
 船長が沖合いから引きずって帰って来たのは、旧型の音叉式電子測量器だった。よく見ればけっこうな大きさである。
「こりゃあ、あれだ」
 船着場に集まった男達が騒ぎ出した。
「ヤマチんとこのおたからじゃねえか」
「台風のときになくしたって言う、あれか」
 四角い台座の真ん中には、モリが刺さった時に開いた穴がある。持ち主によれば、大物があがったらこのはかりで計量していたということだった。
「潮流の関係で時期になると浮き上がってきてたんだな」
 船長の言葉に一同はうなずいた。どことなく不満なのはキール・デリである。
「美女と天上の音楽じゃなかったのかよ」
 汚名をすすぎ、皆に感謝されたものの、電子はかりなど彼には必要なかった。彼は本当に天上の音楽が聞けると思って海に乗り出していったのである。
「いいじゃねえか。くさるなよ」
「けどよう、全然話と違うぞ」
 彼のヴァイオリンがどこからともなく運ばれてきた。キール・デリはぶつくさ言うのをやめ、なしくずしにその場で始まった宴会のために一曲弾き、その後皆につぶされることになった。

 結局キール・デリは、その港町で宿代と酒代をただにしてもらった。もちろんブラッキィの餌代もである。揚がった電子はかりは解体され、鉄屑として廃品業者にまわされた。
「もう行くのか」
 キール・デリは背中に黒うさぎを背負い、右手にヴァイオリンのケースを掴んで定期船が来るのを待っていた。ブラッキィはうとうとと船をこいでいて、べったりとした熱さを彼の背に伝えてきていた。
 町を出て行く際に、船長はこんな話をした。
「そのうさぎだけどな、俺はサラティア社の加工品だと思うぞ」
 こういったスピリット関連の会社はいくつかある。しかし、サラティア社がやっているという話は聞いたことがなかった。
「あそこでスピリットなんか扱ってるのかい」
 そう聞き返すと、船長はやや複雑な顔になった。
「一般には流通してないんだ。実験動物の加工がメインだからな。だから仕掛けも少し変わってる。たぶんそのうさぎはどこかの施設から逃げてきたんだろう」
 船長は以前そういうスピリットを見かけたことがあると言い、キール・デリも納得した表情になった。
 その時である。
 波間からえもいわれぬ美声が聞こえてきた。それは遠く近く響きながら、あたり一帯を幻想的な空気に染め上げ、人々の心をはるか彼方に連れ去っていった。
「……人魚だ」
 わずかな間の出来事だったが、キール・デリは海面に浮かんだ女の姿をはっきりと見た。音楽は始まったときと同じように唐突に途絶え、ゆっくりと日常が戻ってきた。
「さっきのは……」
 船長の驚きと対称的に、キール・デリは物思いに沈んだような面持ちで音楽に耳を傾けていた。それから顔を上げて言った。
「そうだよな、こうでないといけないはずだ。人魚なんだからな」
 少し離れたところから、案外と大きな水音が聞こえてきた。
「飛び込んだバカがいるらしいな」
 キール・デリはそんなことにはもう頓着せず、ひたすら耳に残るメロディーを追っていた。
「まあ陸に近いから大丈夫だろう。この距離なら死人なんか出やしないし、本物の人魚なんてそうめったに出るものじゃないだろうしな」
 船長はそう言ってちらっと遠くを見やり、考え込む様子の彼に手を振った。
「じゃあな。バカ野郎を引き上げるんでもう行くよ。元気でな」
 キール・デリは頭の中のメロディーを追うのをやめ、船長のほうを向いた。
「あんたもな。世話になったよ」
 定期船が汽笛を鳴らしてやってくる。ブラッキィも目を覚まし、きいきい声をはりあげた。
「きーる。ふねだ、ふね」
「何度も見て乗っただろ」
 キール・デリも手を振り返す。それから定期船に乗り込み、次の町へと出発した。

  

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