プロローグ


 半人前のくせに、と初代の女主人は言った。食うだけは一人前だ、選ぶのを間違ったかもしれない、そうとも言った。彼はこのとき自分が罵られている事すらわからなかった。
 あの沼地に帰りたい、と思う。どうしてこんな狭苦しいガラス瓶の中にいなくてはならないのだろうか。定期的に与えられる食事は彼には全然足りなかった。
(ハライッパイ)
ちょっと前に彼はそう要求して、あるじに熱い棒でつつきまわされたばかりだった。もういやだった。
 それに彼があるじの「オネガイ」をかなえられないと、あるじは怒って彼に罰を与えるのである。「オネガイ」されていることすら分からない時もあって、彼には「オネガイ」は苦痛と同じ意味を持っていた。拒否はできなかった。拒否するともっとひどい罰が待っていた。
 それが変わってきたのは、彼が
(コレッポッチ)
と思っていたわずかな食事に慣れてきた頃である。あるじが食事を与えようと瓶の蓋を開けたときに、彼はその顔を見ることが出来た。いままではそんなことはなかった。
あるじのほうも彼を見て、ほう、と言った。
「言葉が分かるかい」
(ワカル)
黒い肌をした美しい女は、瓶の中を覗き込みこう彼に言った。
「言葉が分かるなら、今度の仕事をちゃんとやり遂げたらお前に名前をあげよう」
それは特別なもので、彼や彼の仲間たちには死ぬまで縁のないものだ。名前をもらえるというのは、自分が特別である事を意味していた。
(ホシイ)
名前がもらえる、その一念で彼はあるじの「オネガイ」を必死になってかなえた。そのために若い女が一人死んだが、彼には関係のない事だった。
 その女が熱病で死んだと聞かされた日、あるじは彼のすみかの蓋を開け、いつもより少し多めに食事を与えた。
「ごほうびだよ」
彼女はにっこりと笑ってそう言い、それから彼につけた名前をゆっくりと発音した。

  

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