次の日エミュは疲れ果てて家中を片付けている玲子の前に、ばつのわるそうな顔をして現れた。
「……すまない」
エミュはすっかりしょげていた。もう日が暮れかけていて、外を高校生の自転車が通っていた。いつ玲子の前に出てくるかタイミングを取り損ねて、こんな時間になってしまったらしい。
「おこってないよ」
 そうは言ったものの、玲子の口調はきつかった。昨夜エミュに殺されかけたのだから無理もない。もっとも彼に食事を忘れた自分が一番いけないことも玲子は承知していた。そのせいで死者が二人で出て、一日や二日では片付けきらないほど、この家の中はめちゃくちゃになったのだった。
 それを思うと玲子はさらに腹が立ってきた。電話が通じないのでこうるさく祐一が携帯電話に掛けてくる事にもむかついていた。
「ごめんなさい」
「いいっていってるじゃない」
 しおらしく謝るエミュに八つ当たりしそうになり、玲子はやっとの思いで自分を押さえた。すべて自分がいけない。エミュの本性が何であるかはともかく、日頃はおとなしいのだ。
「俺、あとやるから寝てていいよ」
 玲子が昨夜から一睡もしていない事に気を使ってエミュは言った。怒鳴りだす代わりに、玲子は彼にこう言った。
「どうしてあんなことになったの」
 詰問調にならないように気をつけて言ったのだが、エミュは小さくなった。
「おこってないから説明して」
「……分かった」
 彼にとっては昨夜の出来事は恥ずべきことであった。こともあろうにあるじに牙をむいたのである。いくら食事を与えるのを彼女が忘れたとはいえ、正気に返ったエミュはしばらく自分の行動が信じられなかった。玲子に封じ殺される、そう思って青くなり、それから玲子が封じ方を知らないことに気がつき胸をなでおろした。
 それもつかの間、次にエミュは彼を信用して封じ方を後代に伝えなかった玲子の曾祖母に対して、ものすごい罪悪感に苛まれる事となった。自分を信じてくれたかつての女主人に対して、エミュはその顔に泥を塗ったのである。悔やんでも悔やみきれるものではなかった。
「お前はよく働いていい子だね。だからこんなものは必要ない」
 玲子の曾祖母のし乃は彼を可愛がった。歴代の女主人達が嫌がったグロテスクな彼の本体を見て
「あらまあ、かわいいこと」
そうとも言ってくれた。そんな風に言ったのは彼女だけであり、エミュは本来の彼の住処である泥地を離れてから、初めて安心した。
(イイヒト)
 エミュはし乃の時から完全な人形を取れるようになった。ばらばらのイメージの断片を統合して、現在の人格を与えたのも彼女だった。
「お前は賢い。人様のお役に立つようになるんだよ」
 し乃のこの言葉が、それまで単なる呪術道具の一つに過ぎなかった彼の意識に方向を与えた。人間のように扱われたため、人間のように考えるようになったといってもいい。
「あるじのようになれるか」
 そう彼はし乃に尋ねたことがある。し乃はその質問をどう取ったのか、こんな答えをした。
「願えばかなうんだと、お前がわたしに教えてくれたんだよ」
 しかし皮肉にもエミュは、そのことによって自分の本体にすさまじい嫌悪感を抱くようにもなった。あの小ビンに入っているのが自分だとは認めたくもなかった。
 もっとも完全にコントロールが外れてしまえば別である。そうなればあるじも他の人間も区別はない。自分の食欲を満たすためだけに行動し、犠牲者を探す事となる。こういった場合は近くにいるだけ、元のあるじが最初の犠牲者になる可能性が高かった。エミュは玲子に刃向かったことを悔いてはいるが、他の二人については、本当のところ何とも思っていなかった。
「どっちがほんとなの」
「どっちがって?」
 今日のエミュはめぐりが悪かった。玲子のいうことにさっと反応が出ないのは、やはりまだ完全に元に戻っていないからだった。
「だから、昨日のエミュといつものエミュと、どっちが本当なの?」
「うーん。分かってると思うけど、あれが本当」
 いいづらそうに彼は言った。玲子が警戒した視線をエミュに投げかける。
「だから、あるじが必要なんだ」
  実はエミュは一回ぐらい食事を抜いても平気だと思っていた。確かに何が起きても知らない、そう玲子には言った。しかし自分はほかの仲間たちとは違う、自分で自分をコントロールすることができる、エミュはずっとそう信じていた。
 何代もの女主人がエミュに「彼」という属性、それから知恵を与えた。この名前だって彼女達からもらったもので、それまで彼には名前すらなかった。名前をもらい、知恵を授かり、彼女達の為に働くことで、はじめて彼は自分が何者なのか知ったのだった。
 自我もなく、自分が何なのかも分からずに、熱帯のジャングルの中にいた頃とはわけが違う、ずっとエミュはそう思っていた。あるじが代替わりするたびに、彼は自分の能力が大きくなっていくのを感じたし、あるじたちに感謝こそすれ、反乱を起こそうなどどは考えた事もなかった。
 それが昨夜のざまである。彼としてもあの出来事はショックだった。何百年も自分は全く変わっていない、いくら学んでも本性は変わらない事をつくづくと知らされて、本当にエミュは落ち込んでしまっていた。本体の感情に引きずられた自分が情けなかった。
「俺、自信があったのに」
 片付け物を手伝いながらぽつんとエミュが言う。
「あんな風にはならないって」
 玲子は自分が責められているような気がしてきた。疲れがいらだちを倍増していた。
「あとやってくれる」
 エミュに言いつける。えらそうに、といつもなら言い返してくるのだが、今日は分かった、というだけだった。
(もう寝よう)
 寝たら落ち着くだろう。祐一にも寝てた、といえばいい。あまりにも鳴りまくるので、玲子は携帯電話の電源を切ってしまっていた。
「もし祐一が来たら起こして」
 おそらく来ないだろうが、万が一ということがあった。この部屋とエミュを見られるわけにいかない。合鍵を渡していないから入ってはこないが、テレビドラマのように何時間も外に立っていられるのもやめて欲しかった。
「分かった」
 いつものように素直にエミュは返事した。
 はずだった。
(あれ?)
 もやもやと引っかかるものがあった。歴代のあるじ達のこんな行動はエミュにはおなじみのもので、命令に従う時に特に考えることはなかった。
 ところが今回だけは気に入らなかった。なぜだかは分からない。何が気に入らないのかもよくわからなかった。はじめて遭遇した感情だった。
(なんだろう)
 エミュは玲子に新しいものをもらっていた。本当はもらわないほうがよかったかも知れない。玲子が彼を自分と対等に扱っているところからきたものだった。
(ヒトリジメ。キニイラナイ)
 嫉妬、という名前の感情だった。

    

inserted by FC2 system