オネガイをかなえるとごほうびがもらえる。エミュはそう教えられてきた。ごほうびはその時々によって違ったが、それをもらえるのは彼にとって喜ばしい事だった。彼にはあるじのオネガイをかなえるちからがある。あるじに感謝され、ごほうびをもらうことによってエミュはそれを再確認していた。
(けれど)
 今度のオネガイをかなえることは抵抗があった。泣きながら玲子は彼に頼んでいる。彼にとってはどうということもないオネガイだった。
「あんな女、いなくなっちゃえばいいのに」
(本当に?)
 かつてのあるじたちもこんな風に彼に頼んだことがあった。彼が仕事をやり遂げると、彼女達はほほえんで彼にごほうびをくれた。彼がなんなのか、彼女達はしっかりと自覚していたからである。もともと彼はこういった仕事をするために泥の中から拾い出された。
「本当に?」
 エミュは玲子に聞いてみる。玲子はうん、と言った。帰ってくるなり、玲子は彼にこう言ったのだった。
「聞いてよ。祐一のやつ、もう一人女がいたのよ」
 玲子はおしゃべりな友人からそのことを聞かされた。問い質すと祐一は動揺し、それが真実である事を玲子に知らせてしまった。どちらを取るのかと玲子に言われて、祐一はもう片方の女の名前を言ったのだった。
「死んじゃえばいいのに」
 あの女が死ねば彼は自分のところに戻ってくる。そう玲子は言った。エミュはそっと玲子を抱きしめる。彼女が今、それを望んでいるからだ。
(でも)
 本当に玲子が抱きしめて欲しい相手はエミュではない。
(ドウシテ、アンナヤツニ)
 自分の深いところから拒否の言葉がわいてくる。それはいけないことだ、そう彼は思った。あるじのオネガイをかなえるのは彼の仕事でそれはよいことなのだから、そう思うこと自体が間違いなのだ。
「それはオネガイなのか?」
「かなうなら」
 エミュの言葉に泣きながら玲子は言った。
 今回のオネガイにはごほうびはないかもしれない。エミュはそんな気がした。別にごほうびはなくてもよかった。けれども彼がオネガイをかなえないと、玲子は永久に泣きやまないような気がした。そちらのほうが今の彼には辛かった。
「……分かった」
 そう言うと彼はアパートから消えうせた。玲子はただ部屋で泣きじゃくっていた。
 玲子のところに祐一が来たのは十日後のことだ。黒いスーツを着て、いきなり玲子のアパートにやってきて部屋のドアを乱暴に叩いた。
「誰?」
 明るい昼下がりで、はかったかのようにエミュは遠くに買い物に出ていた。
「玲子、開けてくれ」
「祐一?」
 どうして、と思いながら玲子は喪服の彼を部屋に招き入れた。例の薬ビンを調味料の棚に戻す。玲子はエミュのいない間にいつもの儀式をとり行うつもりで、ビンの蓋を開けたところだった。
 カッターを持って台所に立っている玲子を見て、祐一ははっとした顔になった。
「僕が悪かった」
 玄関先に突っ立ったまま、いきなり彼はぼろぼろと泣き出した。
「君まで死んでしまったら、僕はどうしたらいいんだ」
 勘違いを訂正するべきかどうか玲子は迷ったが、とりあえず黙っていた。どうも展開が読めなかった。
「どうしたの、いったい」
 お茶を出され、テーブルの前に座らされて祐一は玲子に謝った。
「あれは気の迷いだったんだ。やっぱり君のところに戻ろう、そう思って、実は二、三日前に美佐に別れ話を切り出した」
「そうなの」
 美佐というのはもう一人の女の名前である。ほかにいう事がなくて、玲子はそう返事をした。
「したら次の日、美佐は交通事故で死んでしまったんだ。今日が葬式だった。どうしても君に会いたくてここまできたら、カッターを持って立っているじゃないか。頼むから君まで死なないでくれ」
 そう言って祐一は号泣した。彼が戻ってきたことは嬉しかったが、相手の女が死んだと聞いて玲子は後味の悪い思いだった。若干、祐一が間抜けな男だということも分かってしまった。
(しょうがないひと)
 仕方がない、そんな風に玲子は思って、それから少し祐一がかわいらしくなった。
 もう一人、出かけたままで帰ってこない間抜けな男のことを玲子は思い出した。こちらもかわいらしかった。彼女のために一生懸命で、何でもするし何でもできた。
(まさか)
 玲子はあることに思い当たった。一瞬否定したものの、彼ならやりかねなかった。
 それに最近、彼の様子は少しずつ変わって来ていた。どこが、とははっきり言えない。しかし玲子に対する反応が最初の頃とは違ってきていた。
「済まなかった。許してくれ」
 祐一は物思いにふけって黙り込んだ玲子に、もう一度詫びた。

    

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