エピローグ


 もう聡美を迎えにいく時間だった。玲子はすぐ近くの公園までサンダルをつっかけ、カーディガンを羽織って出て行った。近所のお母さんたちがあら、遠藤さん、と声をかける。ひっつめ髪を気にしながら、玲子は彼女たちに挨拶をした。
「まま」
 公園の真ん中へんから娘の聡美が走ってきた。来年は幼稚園の年長だ。顔立ちは玲子によく似ていたが、額のあたりは夫の祐一に似ていた。
「おうちに帰ろうね」
 娘の手を引きそう言うと、聡美はうんと言った。
「まま、あのね」
「なあに」
 マンションのホールでエレベーターを待っている時だった。
「ままのお友達にあったよ」
 エレベーターが一階に到着する。誰も乗っていない四角い箱に乗り込むと聡美は言った。
「お友達?」
「うん」
 玲子はいぶかった。このマンションには最近越してきたばかりで、まだ知り合いと呼べるような人間はいない。聡美がこの近くの幼稚園に通い出したのも、つい一週間ほど前だった。
「おなまえ聞いてきた?」
「うん」
 チン、と音がしてエレベーターが玲子たちの住んでいる階につく。今日、祐一は残業で遅くなると少し前に連絡があった。部屋に入るなり聡美はクレヨンと画用紙を取り出し、何か描き出した。
「ままのおともだち」
 そう言って、聡美は台所に立っている玲子に画用紙を持ってきた。上のほうに緑のクレヨンで「おともだち」とひらがなで書いてある。「も」が裏返しになっていたりして、玲子は頭が痛くなった。真ん中には人の顔が大きく描かれていたが、これだけで誰かを判別するのは難しかった。
「ちゃんとお勉強しようね」
 いいながら玲子は視線を画用紙の下のほうにおとした。人の顔の下に、オレンジのクレヨンで「えみう」と書いてあった。「う」はまた裏返しである。
「ママのお友達はなんて言ってた?」
 画用紙を持つ彼女の手は震えていた。あの後、玲子は小さく縮んでしまった彼の断片を泣きながら地面に埋めた。誰にも見られないよう、夜中にこっそりと風景のいい川岸を掘り返したのだった。祐一にはごみと一緒に捨てたと言ってあった。
「ままのこと大すきだって。ぱぱに言っちゃだめだよっていってたよ」
 にこにこと聡美は言った。
「ままのお友達とまたあいたいな。お兄ちゃんね、さとみちゃんと遊んでくれたんだよ」
 娘にすがって玲子は泣き出した。まま、どうしたの、と聡美がびっくりする。なんでもないの、そう言いながらも玲子は涙があふれ出すのをとめることができなかった。
(あんたのオネガイはかなっただろ)
 そんな声が聞こえたような気がした。玲子は娘を抱きしめて泣き続けた。

    

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