U 呼ぶ者

ハードラック・ガレリア

 強情な娘だった。なんでこうも姉弟そろって、とはイサクの言である。自分を救うつもりの行動だったにしろ、シリウスはミラのやったことを許すつもりはなかった。
「お帰りください」
 ミラは何度そう言われただろうか。王宮の敷地の片隅にある離れを、彼は毎日のように訪れていた。
「あなたから父君と国を奪ったのは済まなく思っている。けれど、あなたは殺されてもよかったのですか」
「わたしのことは忘れてください。放っておいて」
 けれどもシリウスはダゴニアに帰ることもできなかった。王家はもうない。生贄のはずの彼女が一人で戻っても何の意味もなかった。オシリスは生贄の儀式を拒否したから、事実、ダゴニア王家は滅んでしまっていた。
「もうこないで。わたしは死ぬのが決まりだったのだから」
 取り付くしまもない。こんな不毛なやりとりを、ミラはシリウスとドア越しに毎回繰り返していた。周囲から見れば、あの戦場の彼とはまったく別人にしか見えなかった。
「駄目か……」
 追い返され、しょんぼりとする姿が情けない。それでもミラは翌日になるとシリウスのところに出かけていく。そしてまた手ひどい拒否にあうのである。
「いいかげんにして下さい」
 業を煮やしたのは当事者たちではなくイサクであった。まったくどっちもどっちで、言葉の割にシリウスの態度は優しい。それがまたミラの執着を呼ぶのである。
「軍事投資に宇宙港の拡張事業、それに閣下は交通の整備をおっしゃいましたから、鉄道網の拡充、やることは山積みです。なのに収入はこれしかないんですよ」
 ぎょっとするほどの大量の書類の束を、イサクはぼんやりとメープル材の机に座る、ミラの目の前に放り出した。
「閣下、私の話を聞いていますか!?」
 彼はタートゥーンの宰相も兼ねている。そっくり組織は残してあったものの、旧連邦タートゥーン議会の年寄りどもはほとんど役に立たなかった。がらりと変わったシステムについてこられず、結局イサクが一人でみんな仕切ることになっていた。
「お前がやっておけ。そのくらい平気だろう」
 とうとうイサクは悲鳴を上げた。
「ほかにまだあります! 連邦の使者がやってくるんです!」
「なん……だって?」  
 やっとミラはイサクの方を向いた。イサクは真っ赤な顔をしていた。
「平和的、外交的にタートゥーンとダゴニアの解放と申し入れたいと。閣下が出ないわけには行かないんですよ」
「他になんと言ってきている」
 ミラの表情がはっきりしてきた。イサクはもう一枚、ふところから書面を取り出した。
「応じなければ封鎖、だそうです。最悪、武力行使もやむを得ない。そういうことみたいですね」
「誰が来る」
 ミラの問いに、イサクは安堵した表情を浮かべた。彼はこの人物が苦手なのである。
「ガレリア・ガルヴィータ。海賊ガレリアを特使に立ててきました」
 対するミラは鼻白んだ。この人選はイサク封じと共に、彼らの情に訴えかけようという姑息な手段でもある。ミラはこの人物をよく知っており、彼女にかかればイサクの行動パターンなどお見通しだった。
「お前の元彼女か。趣味の悪いことをする」
「それを言わないで下さい」
 イサクは水をかけられた犬のように身震いした。婚約を破棄した女が海賊などをやっていれば、男はばつが悪くなるに決っている。しかも有名人だ。神出鬼没にして凄腕の女海賊、それがハードラック・ガレリアであった。
「エリート官吏、ガルヴィータ財閥の令嬢をふる、だったか。あの時はえらい騒ぎだったな」
 ミラののんびりとした言葉に、彼は恨めしそうな目をした。とりあえず言えることを全部言おうと、ミラに向かう。
「とにかく、応対は私でなく閣下にお願いします。ここの代表は閣下なんですからね」
「そんなに怒るな。わかったよ」
 部屋を出ようとして、イサクはまだ言い終わっていないことがあるのに気がついた。ドアの前でくるりと振りかえって、正面の机に座るミラを見る。
「それからいろいろ言われてますけど、私はあの時まだ結婚する気がなかっただけです。彼女につまらないことを言わないで下さいよ!」
 そして、大きな音を立ててドアを閉めて出ていった。

 銀河連邦の特使が外部の人間であるのは珍しいことではない。使えそうなものはすべて使う、それが連邦上層部の考え方であった。たとえそれが当事者の古傷に塩を擦り込むようなことになっても、である。そんなことは連邦にとっては些細なことだった。
「では、もし手を組んだら?」
 ミラが尋ねた。ガレリアは頭を少し振り、邪魔そうに豪華な巻き毛を払いのけると小さく笑った。
「知れたことよ。エイシェント軍とハードラック・ガレリア、両方とも潰しにかかるわ。それに一応、あたしはウチの援助も受けてるから、あんた達と表だって手を組むわけにいかないのよ」
 こっそりとだけどね、とガレリアはつけ足す。彼女の生家のガルヴィータ財閥は、それにより非合法にかなり儲けていた。いくつかある商家としては小さい方だが、どれだけ隠し財産があるか分からないのがガルヴィータ家でもある。
「それも計算のうちか」
「まあね」
 場所はミラの私邸の一室になる。王宮での型どおりの面談の後、彼らは一息入れると今度は密議に入っていた。
「君の実家のほうはどうだい」
 まるきり雑談のようにミラは言った。ガレリアものんびりと噂話のように答える。
「商売になるようならパパから何か言ってくるんじゃないかしら。あたしは特に何も聞いてないわ」
 そしてこう付け足した。
「最近、おじいちゃんがブレーンを探してるの。あたしがこんなだから心配だって。失礼しちゃうと思わない?」
「……なんとも言えんな」
「何よ、ひどいわね」
 ミラの言葉に一人でしきりにくすくす笑ったあと、彼女は話題を変えた。
「そう言えばあの子はどうしたの? 姿を見てないんだけど」
 彼女の言うあの子とは、もちろんイサクを指している。
「会いたくないそうだ」
 ミラは浮かんでくる笑いを噛み殺して言った。相変わらずしょうがないわね、とガレリアはまったく彼を子供扱いして答えた。
 海賊になったのは別にイサクのせいじゃない、聞けばそう彼女は答えたかもしれない。どちらも若かったし、周囲が仕組んだ話でもあった。それでもはた目には幸せなカップルに映っていて、イサクはひとつ年上で面倒見のいい彼女に甘ったれていたものである。
 はじめてミラがガレリアに会ったのは、タートゥーンに赴任してきたイサクを「ついでだから」と言い訳しながら尋ねてきたときだった。イサクと同窓の彼女に対して、しっかりものの、いいところのお嬢さん、そんな第一印象をミラは持った。
 きれいに手入れされ、パールカラーのマニキュアを塗られた爪がさらにその印象を強くしていた。一方のイサクといえば大喜びで仕事を休み、ミラにあきれ顔をされながら彼女の後をついてまわっていた。
 もう一つ、ガレリアは銀河連邦から指令を受けてきている。イサクをミラのところから引き離せというものであった。中央官庁ではイサクの才を惜しむ声も強い。あたら天才をよそにやることもないという訳である。
「あたし、あの子にも用があるのよ。連邦の偉いさんが連れて帰ってくれってうるさくてね。全然会わないで帰るのもなんだから、ちょっと呼んできてよ」
 とうとうミラは笑い出した。ぬけぬけととんでもないことを言い出したものである。
「あとで場所を用意しよう」
 やっと笑いを収めてミラは言った。
「ハードラック・ガレリアには負ける。もしなんなら何日か貸してやってもいいぞ」
 ガレリアは不思議なものを見る目つきで、長身の元政務官を見た。かつての友人は、いつのまにかすっかり軍隊の長に変わってしまっていた。
「たいした自信ねえ。あの子も少し成長したのかしら」
「さあな」
 不意にミラは、もう一人の女のことを思い出した。この半分も彼女に思いきりの良さがあったらいいのに、そう思った。
「海賊もいいものみたいだな。あの時と比べればずいぶん楽しそうだ」
「まあね。バカどもと渡り合ったせいよ」
 艶然と彼女は微笑んだ。肩の出たサンゴ色のドレスが、かつては隠していた美しいボディラインをいっそう際立たせる。ミラはこんな服を着たガレリアを見たことはなかった。
「何見てるの」
 彼の視線にガレリアは明るく笑った。屈託のない、自信にあふれた笑顔だった。

雲間草

 ワイドショーも連邦のお偉いさんも、みんなこの反乱軍発足のきっかけとなった、草色の瞳を持つ小娘を見たがっている。ガレリアとても例外ではない。なかでも一番興味を持っていたのは彼女かもしれなかった。
「あなたがシリウス?」
 仕切られた中庭にいるシリウスに、彼女は気安く声をかけた。びっくりしたように少女がこちらを振りかえる。芝の地面に座ったまま、手には退屈しのぎの白い糸と細い編み針があった。
「だれ」
 思ったよりもずっと幼い、ガレリアはそう思った。二十才という話であるが、どう見ても十六、七にしか見えなかった。化粧をしていないせいもあろう。
「ガレリアよ。ガレリア・ガルヴィータ」
 自分が四十の年増になったような気がしつつ、ガレリアは彼女に名乗った。名前を聞き、シリウスは芝の上から立ち上がって彼女の方にやってきた。
「ガレリアって、海賊ガレリアのこと? ではあなたがあの船の持ち主なのね」
言いながら彼女は、上空に浮かぶ黒い影を見上げた。ブルーグレーの優美な流線型をした船体が、タートゥーンのはるか高みに漂っている。サイズは小さいが、装甲とエンジン廻りは大型船にもひけをとらない。ついでに言えば、最近積んだ電磁防護ネットシールドは、ミラの専用機にあるものよりもずっと優秀だ。彼女はそれを親戚のつてを辿って手に入れた。
「そうよ。ハードラック・ガレリアと呼ぶ人間もいるわ」
 持っているレース編みはもうあらかた出来あがっていた。あと二時間もかければ、見事なドイリーが完成する。
「上手ね。あたしはそういうの駄目なのよ」
 言われて少女は作りかけの編地に目を落とした。
「そんなこと……。ひまだから」
 消え入るような、小さな声だった。
 幼すぎる。ミラはこんな娘のどこを気に入ったのだろう。それがガレリアの正直な感想だった。彼がもたもたしているのも相手が子供だからに違いない。あまりに子供過ぎて、どこから手を出したらいいのか考えかねているのだ。
 シリウスの話を持ち出した時の、イサクの困ったような顔がガレリアの頭に浮かんだ。はっきりと彼の顔には、なんとかしてくれと書いてあった。
(これじゃ、ねえ。確かに長期戦になるわね)
おかしくなってガレリアは少し顔がゆるんだ。それを見て、さっきから様子をうかがっていたシリウスが、思いきったように話しかけてきた。
「あの船、速いのね」
「え、ええ……そうね。速いほうよ」
突然何を言い出したのか見当がつかず、ガレリアはとまどった。あいまいに返事をするとシリウスは安心したように話を続けた。
「でもブーツは取ったほうがいいんじゃない? ガウンがあればブーツはいらないでしょう」
 内容を呑み込むのにガレリアはしばらく時間がかかった。自分を見つめる彼女に、シリウスは臆病に笑いかける。
「ブーツを履いてるでしょう。あの船」
(あっ)
 エンジン出力を上げるために、ガレリアは自船にブースターを取り付けていた。かなりのパワーを食うものだったが、戦闘で負けた時の、逃げ足の速さを維持するためには必要不可欠のものでもあった。だが新式のシールドを入れてからはその必要もなくなりつつあり、かえって船体の負担となっているのも確かだった。
「なんで……どうして分かったの?」
 外からは宇宙船のエンジン部は見えない。こんなところに閉じ込められているシリウスが、ハードラック・ガレリアの最新事情を知っているはずもない。防護シールドのことはミラにも話していなかった。
「船に聞いたの。できたらあなたに伝えてって」
シリウスは再び、臆病なふうにほほえんだ。

 大抵の船には人工知能というものが取り付けてある。それは自律して学習し、いちいち人間におうかがいを立てなくても、仕事をやり遂げられる非常に便利なものだ。なかにはごく少数ではあるが、船霊とも言うほど上手にプログラミングされたものも存在する。
 そういった船には守護霊がいるとか大事故にあっても乗員が全員無事だったとか、とにかく逸話の多いものだ。それは無人機でも例外ではない。
「大変です!」
 急報を持ってきたのは宙港の警備に当たる、まだ入って間もない新兵だった。管制官はその騒々しさに彼をしかりつけた。
「なんだ」
「貨物船が、勝手に……!」
「そんなわけがないだろう。海賊船じゃないのか」
「いいえ、ここの貨物船です」
 管制官は落ち着いた様子で、宙港を俯瞰できるよう室内のスクリーンを切替えた。おおかた何かを見間違えたのだ。密航船もごくたまにあるが、ここに所属する船は完全に自動制御されている。その管理を振りきって飛び立つのは無理だ。唯一、ガレリアの船が貴賓扱いで、スクランブルがかけられるようになっている。しかしそれも上空に係留してあるだけで、飛ぶにはやはり管制室の誘導が必要になる。
「……なに」
 スクリーンには不安定に重力に逆らって飛ぶ、中古の宇宙船が映っていた。急いで演算パネルを呼び出し、軌道と行き先の航行時間の計算をさせた。同時に通信回路を開く。
「なぜだ……」
 ありえないことが起きていた。バリ型の船は無人で飛ぶように設計されている。一応、マニュアルでも動くようにはなっているが、宇宙空間での微動作が必要な時ぐらいしか手では動かさない。
 いま問題になっている船は支援用の補給機で、それもかなり戦闘の激しいところに派遣する船だ。大型のリモコン船といってもよい。管制塔から命じられない限り、勝手に飛び立つことはまずないし、乗っ取るにしてもこのバリ5520は旧式過ぎ、廃棄寸前の船だった。
 管制官はさらに通信回路の出力を上げた。船内の様子を見るためだ。幸いにも通信は切られず、中の様子がはっきりと映し出された。
「おい……はやく王宮に、閣下に連絡しろ!」
 さきほどの新兵が画面を見て、こけつまろびつしながら廊下に走り出て行った。
 船内のコックピットには、白い服の少女が映っていた。彼女は何もしていなかった。計器も触っていなかったし、操縦桿すら握っていなかった。手に持った編みかけのドイリーは完成も近く、最後の外回りのピコットが終われば出来あがりだった。
「バリ5520、引き返せ! 何を乗せている!」
 管制官は飛行停止と帰港のコマンドを打ち込んだ。だがバリ5520は止まらず、こんなメッセージを送ってきた。
(メイレイキョヒ。ワタシハシュジンノメイレイニシタガウ)
 それきり通信は途切れた。管制官が最後に見たのは、出来あがったドイリーをふわりとコンソールに掛ける、シリウスの姿だった。

迷光

 シリウス脱走の報に、ミラは単身スペースポートに飛び出して行った。イサクがその後を必死で追う。
「閣下! おやめ下さい!」
「どけ!」
 いても立ってもいられず、警備の者を突き飛ばすようにして、ミラは専用機に乗り込んだ。エンジンを掛けるよう命じ、あたり中に怒鳴り散らす。
「どかないか!」
「閣下をおとめしろ!」
 イサクが叫ぶ。管制官はどうしたらいいのか分からずまごまごしていた。何が起きているのか、あのミラが気が違ったように怒鳴っている。しかもイサクは彼を止めようと、宇宙船の入口でもみあっているのだ。
「ミラ! ふざけるな! ここをあけろ!」
 日頃の礼節も言葉遣いもかなぐりすて、イサクは閉じられたスライドドアの前で怒鳴った。その口のききように、今度は周囲の者が驚いた。
「入れ」
 軽い音がして金属製のドアが開いた。どちらも殺気立ち、にらみあっている。間合いを取り、互いに火花を散らしながらイサクは船に乗り込んで行った。船内の通路に彼が入るとシュッとドアがしまった。
 先に口を開いたのはイサクのほうだった。
「女ごときで軍を放り出したら許さないからな。俺はお前に賭けたんだ」
 ミラもかなり激昂していた。
「彼女のための軍隊だ。はじめからそうだったはずだ」
「ミラ!」
「あれは私のものだ」
 彼はそれだけ言うと、宇宙船のドアを開け、イサクを外に突き飛ばした。数メートルの高さから突き落とされたイサクを、わっとまわりが駈け寄ってきて助け起こした。
「後を頼む」
 ミラはそう言い残し、くるりときびすを返して船内に戻って行った。眼鏡を落としてしまったイサクには、ぼやけた彼の後ろ姿しか見えなかった。
「船を出せ」
「は?」
「閣下のおっしゃる通りにしろと言ってるんだ!」
 頭にきてイサクは怒鳴った。どこかぶつけたらしく、背中に鈍い痛みが走る。ミラの乗った船は管制塔の指示を受け、イサクの脇を走り抜けていった。

 無茶苦茶だった、と後で誰かが述懐していた。痛み止めを打ち、少し動けるようになったイサクが最初にしたのは、ガレリアを銀河連邦に帰すことだった。
「ケガは大丈夫なの」
青いチュニック丈の上着の下には幾重にも包帯が巻かれ、気丈な表情と眼鏡がかえって痛々しかった。彼女は眉をひそめ、心配で聞いた。
「平気だよ。それより……」
渡された二通の親書を見て、ガレリアはため息をついた。
「分かってる。何も見なかった、聞かなかった。それでいいわね」
彼が言うならそうせざるを得まい。一通は銀河連邦への返書であり、当方は要求をのむことができない云々という内容が書かれている。もう一通はガルヴィータ家宛のもので、タートゥーンとダゴニアの独占交易と援助についてであった。
 イサクからの個人的なお願いという体裁を取っているが、もし早い段階で星系封鎖が行われた場合、ガルヴィータ家しか現在のエイシェント軍に頼れそうなところはない。自分の立場とプライドを天秤にかけ、イサクは恥をしのんでこの文書をしたためた。
「じゃあ、またね。落ち着いたらそのうち来るわ」
 手を貸したいところだったが、この状況で彼女が動くのもはばかられた。連邦に気づかれないようにそっと立ち去る。それが一番の得策だろう。
 何事もなかった振りをして、ガレリアはタートゥーンを飛び立った。ミラも変わったがイサクも変わったと思う。知恵者イサク、その称号は間違ってはいない。何でもガレリアが一番だったあの頃よりもずっといい。
(でも)
よく分からなかったが、彼女はどうにも胸が痛かった。

 ガレリアは帰した。イサクは次に自分がしなくてはならないことに向かった。次の人物は王宮の別棟、独居房に入っていた。
「おい、私だ。生きているか」
辛気臭い廊下を通りぬけ、警護の人間に囲まれてイサクは特別製の鋼鉄のドアを叩いた。独居房といっても他と比べればこの部屋は割と広い。ミラの指示でこの中の人間は、外に出る以外のことはたいていかなえられた。
「うるせえ、あっちいけよ」
 そういう返事が戻ってきた。安心すると同時に、イサクは気を引き締める。何度か面接してはいるものの、イサクは彼にぶん殴られても文句はいえない。
「入っていいか」
「勝手にしろよ。ヘビ野郎」
鍵が開けられた。ついてこようとした看守を外に待たせ、イサクは自分だけ中に入った。
「ドアを閉めろ」
看守が彼にスタンガンを持たせる。内部の石壁は、空いている一面がほとんどえぐれて大きく崩れてしまっていた。
 部屋の主がトレーニングと称して壁を蹴るのである。すぐ壁を壊すので、つい先日この部屋の壁だけ、かなり厚いものに変えたばかりだった。
「へえ、殺されに来たか」
オシリスは傷だらけのイサクを見て鼻でわらった。一年前より背が伸び、筋肉がついていた。ただし、すさんだ空気は以前の彼にはなかった。
「頼みがある。ダゴニアに行ってくれ」
 薄暗い部屋で頭を下げるイサクの上を、オシリスの嘲笑が通りすぎていく。
「このオレにダゴニアに行けだって? こいつはいいや」
 てめえ、とうとうイカレちまったかよ、その声に廊下で控える警護の人間が入ってこようとする。イサクはそれを押し止めた。
「話の途中だ。入るな」
 ふうん、とオシリスが言う。
「おえらいねえ。ここじゃ誰もオレの言うことなんか聞かないっていうのによ」
 伸び放題の枯葉色の髪が、獰猛な肉食獣を思わせる。俊敏な四肢にエネルギーを余らせ、犠牲者を待っている動物だ。
 イサクの胸中を、なぶり殺され、血まみれになった自分の姿がわきあがる。そのイメージを力ずくで消し、彼はオシリスに言った。
「シリウスが一人で船を乗っ取ってダゴニアに行った。ミラも後を追いかけてダゴニアに向かっている」
 ここではじめてオシリスに変化が現れた。
「姉貴がダゴニアに行った? ひとりで? なんでだ?」
「分からない。知っていることがあれば教えて欲しいんだ」
 オシリスはイサクの顔を改めて正面からきちんと見た。嘘をついている顔ではない。やつれて重責を背負ってしまった人間の顔だった。
「頼む。他にあてがないんだ」
 再度、イサクはオシリスに頭を上げる。
(どうしちまったんだ、こいつ)
 好奇心とともに理知的なもう一人のオシリスが現れた。こいつは大嫌いだがたいした男だ。オシリスはあの戦闘からイサクをそう評価していた。それが、わざわざ自分のところに来て、何やら頼みごとがあると言っている。
「ちゃんと話せよ。最初っから。今度はひっかけはなしだぞ」
「そんなつもりはない」
 一息つき、イサクは今までのいきさつを話し出した。相手は口を差し挟まず、虚心に彼の話を聞いていた。
 オシリス・ダゴニア。のちの勇将オシリスの名が覇王軍に加わるのはここからになる。



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