U 呼ぶ者

和解

 降り続く雨の中、白い機体が深い緑の中に光って見えた。バリ5520と書かれた黒い文字が見える。深い密林のふもとに、シリウスの乗ってきた船は置き去りにされていた。
 雨を吸い込み、髪と服が重くなっていた。伸びた髪が気持ち悪く首まわりに張りつく。コートがわりにされた軍服はケガを避けることはできても、ずっと着ていれば間違いなく病気になりそうだった。
 小高い丘の上から、ミラは貨物船に向かって走り降りた。どうやって操作したのか、よりによってなぜこの船だったのか、いくつも疑問がある。けれども一番の問題は、なぜ彼女がダゴニアに戻ったのかということだった。ダゴニアには彼女の行き先はどこにもないのだ。
 ゆっくりと船に近づく。ドアの前に立ったが、オートでは開かなかった。非常口を探し中に入る。非常用のドアには開けられたあとがあった。おそらくシリウスはメインドアが開かないため、ここから外に出たのだろう。さらにミラは奥に進み、管制室のスクリーンに映し出された、簡素なコックピットに入った。
 強化プラスチックの透明な窓に雨が当たる。ぼんやりと明るい外の風景を背に、若い男がその狭い空間に立っていた。コンソールの上には無骨な室内に似合わぬ、白いレースのドイリーが置かれており、そこだけ不釣合いだった。
「よう。てめえか」
 姉よりも濃い色をし、激しく感情を映すグリーンの瞳がミラを見た。
「オシリスか。なぜ、ここに」
「メガネのヘビ野郎に頼まれた。姉貴を連れ戻して欲しいってな」
「そうか」
「ちっと、聞きたいんだけどよ」
 オシリスは姉の残して行った白いドイリーを手に取った。壁にもたれ、ミラを見上げる。
「なんでそんなに姉貴をかまうんだ」
「わからん。自分でもこんなことは初めてだ」
 一度だけ、ミラはあの中州の小屋で彼女を抱きしめた。女というより少年といったほうが近い、固くて細い体をしていた。
「おやめなさい。わたしは死ぬのだから」
 預言のように、しっかりとシリウスはそう言った。それがくやしくて、ミラはどうしても彼女をタートゥーンに連れて帰ろうと思った。
「自分ではどうにもならないから」
 諦めたようなもの言いだった。
「ではなぜ、私をこの小屋に呼んだのです。どうして……生きようとしない」
 いろんなことを言おうとしてつかえ、ミラは結局ひとつの言葉しか言えなかった。さびしげにシリウスが微笑む。
「私は死ぬことに決まっているのだから……あなたに会わないほうがよかったかもしれない」
「運命など信じない」
 怒りにまかせてミラは言った。会ったばかりでそんなことを言う彼女に、猛然と腹が立った。
「では私があなたを助け出す。必ず、その運命とやらから守ってみせる」
「できるなら」
 シリウスはついとうつむいて、それから顔を上げた。何か決心したような面持ちだった。
「本当にわたしを、解き放ってくれるのなら」
 シリウスの薄緑の瞳が、またもやミラの心を焼き尽くした。さっきのかよわさからは考えられないほど、強い光を放っていた。

 そのときは確かに、彼女はミラのことを待っていると言っていた。だがタートゥーンに来てからはあの強さは、影に隠れてしまっていた。
 思い出すミラの表情は硬い。オシリスはそれをじっと見て言った。
「ここは化け物がうじゃうじゃいる、とんでもないところなんだ。案内もなしに来るなんてまともじゃねえ。タートゥーンとは訳が違う。ダゴニアはおっかねえところなんだよ」
 それでも、とミラは言った。
「シリウスがいるなら……探さなくてはいけない」
 短い沈黙があった。ややあってオシリスがドイリーをミラに渡し、言った。
「その服、着替えろよ。防水のジャケットを持ってきてあるからな」
「そうか。すまないな」
 オシリスは不思議なものをみる目でミラを見た。あのメガネといい、こいつといい、変なやつらだ、そうも思った。
「不慣れなやつはたいてい雨でやられるんだ。油断していると動けなくなる。そうなったらオレは先に行くからな」
 てめえのことなんか知っちゃいねえや、そうオシリスは付け足した。そうか、と短くミラは答えた。
 自分の中に痛いような感情の揺れがある。それを呼び起こすのは自分の身を案じて案内人を手配したイサクのことであり、私怨を押さえて務めを果たそうとするオシリスの姿でもあった。
(すまない)
 ドイリーをシャツのポケットに入れ、ミラは心の中で詫びた。誰に、ではない。自分に関わる全ての人間に詫びていた。

追跡

 バリ5520のメインコンピュータは死んでいた。バックアップバッテリーは動いていたにも関わらず、ダゴニア行きの記憶はまったく保存されていなかった。
「信じられん」
 ミラは各種計器の目盛りを見、ドイリーの置かれていたコンソールを叩き、とうとう音声入力を切ってコマンドの直接入力までした。それなのに何一つ、航行記録は表示されなかった。
「なにしてんだ」
 電熱ヒーターの前に座り、オシリスは持ってきたスティック携帯食料をかじりながら、怠惰にミラに質問した。世話のいいイサクが持たせたもので、いらないと言われると彼はミラの分までみんな自分の腹に収めてしまった。
 服が乾くまでのあいだ、彼らはバリ5520に留まっていた。やたらと動いてもシリウスは見つからない。それよりも体力を温存して準備を整えたほうがよかった。
「お前って器用だな」
 オシリスが食べ物の屑を落としながら、ミラの後ろから画面を覗く。
今までほとんどこういったものに興味を持たなかったのだろう。機械類にうといのが丸見えである。もっともどこの国の帝王学にも、老朽貨物船の操縦は入っていない。
「ROMがないんだ」
 知識のない相手にどう説明したらいいのか、考えながらミラは答えた。後はもうパネルを開けて、内部をじかにいじるしかない。道具もなかったし、ミラはそこまでの技術を持ってもいなかった。
「ふつう、宇宙船が飛ぶ時は必ず飛行記録を取る。自動で取るようにしてある」
「姉貴が消したんじゃねえのか。こう、なにかしてさ」
 オシリスはからっぽになった両手を広げて動かすしぐさをして見せた。ミラが首を振る。
「故意に消そうとしてもまずできない。それができるのはファクトリクラスの技術者だけだ。シリウスには多分……できない」
 彼が言いよどんだのをオシリスは見逃さなかった。
「多分って何だ? おい」
「プログラムを変える。これならなんとかなるかもしれん」
「そんなの無理だ。姉貴はコンピュータなんか触ったこともねえ」
 とんきょうにオシリスが口を挟む。
「だから多分と言った。高速情報処理施設の人間でもなければ、軍事用の人工知能のプログラミングは無理だ。ダゴニアにはそんな施設はない。お前には悪いが、な」
 ふん、とオシリスは鼻をならした。しゃくではあるが、ミラの言っていることは本当のことである。ダゴニアはそういう面では辺境タートゥーンから見ても、さらに辺境の地であった。
「姉貴のことだ、船と話をしたかもしれないぜ。なんていったって自主的に自分を守るよう、ダゴンにしむけたんだからな」
 放り投げるような発言だ。一年経ったがあの時の衝撃をオシリスは忘れていなかった。同時に微塵もなくプライドを砕かれたことも、である。
「自主的に?」
 ミラの記憶に、泡を食った管制官からの報告がよみがえった。
「知らなかったのかよ。一年姉貴といたんだろ。そう聞いたぞ」
 ほんのわずか、ミラの表情が悲しい、後悔の残るものに変わった。彼は照明のボタンをいたずらし、スクリーンに影を浮かび上がらせた。
「私は……許してもらえなかったからな。部屋にも入れてもらえなかったよ」
「そうかよ。知らねえや、そんなこと」
 湿ってしまった空気を吹き飛ばすようにオシリスが言う。ぶっきらぼうに、あえてミラを怒らせるような言い方をした。
「もう行こうぜ。オレは姉貴を探しにきたんだ。てめえなんかいてもいなくても同じだ」
 ミラは若者の挑発に乗った。それが必要なのもよくわかっていた。
「そうだったな。タートゥーンに戻ったらまたぶちこんでやる」
「けっ。また壁を壊してやらあ」
 二人ともなんとなく気力が戻ってきた。服も着替えたし、食事も取ったから暖かい。これから狩りに行く、そんな高揚感がある。捕まえるのはどちらにとっても大事な娘だ。
「おい、道案内しろ」
「ふざけんな」
 転ばないよう、適当な距離を取りながら二人は貨物船を出た。泥水も密林もこわくはなかった。そんなものは困難のうちにもはいらない。
「いくぞ」
 はるか原初の頃と同じく、彼らは獲物を求めて森に入っていった。

草色の瞳

 シリウスには不思議な能力がある。だからダゴニア王はオシリスの即位を急いだ。あんな沼地にひとりで閉じ込められていたのもそのせいだ。それをミラが見つけてしまった。
 道を切り開き、藪をかき分けながら、オシリスが語ったのはそんな内容のことだった。雨は相変わらず上がらない。時折立ち止まって、顔や手足に蛭のような寄生虫を避ける薬を塗る。それからまた再び、もつれる足に絡む太い蔓を外し、枯れ枝を踏んで歩き出す。
「でもオレはそれでずいぶん助けられた。オレは王族ではあるけど……あんまりそういう能力はないんだ」
 怪異の多いダゴニアには、そういった者が数多く存在する。そのなかでも飛びぬけてシリウスの能力は高かった。
「姉貴はまた違った。特別だったと思う。ダゴンを操る者が王になるっていうのは、それほどダゴンの制御は難しいってことだからな」
 オシリスは鼻先に突き出た太い枝を大ぶりの曲刀で払いながら言った。ミラはその後から背をかがめて、オシリスの作った道を苦労しながら歩いていた。
 二人が向かっているのは御領森の奥にある湖であった。聖地とされ、ほとんど人のはいらないところだったが、オシリスはそこに姉がいると主張した。
「ガキの頃、連れて行かれたんだ」
 古い記憶をたぐりながら彼は言った。
 シリウスは小さい弟の手を取り、森の入口に立った。
「呼んでる。いってみましょう」
 森は暗くてたくさんの怪物が動き回っているように見えた。大人達が近づかないようにしていたのを知っていたオシリスは入ると怒られると思って、帰ろう、と姉に呼びかけた。
「平気よ」
 そう彼女がいった途端である。
「まるで姉貴を招くように、この藪がすうっと開いた。オレ、覚えてるよ。なんでもないことのように、姉貴はそこへすたすた入っていったんだ」
 子供のオシリスはびっくりして、ただその光景を見ていた。すると立ちすくんでる彼に気づいたシリウスが、にこっと笑って手招きをした。姉に招かれ、小さな弟はおっかなびっくり湖の入口まで辿りついた。
「姉貴にとっては城の中庭で遊んでいるのと同じだったと思う。でも、オレはこわくて、どうしてもそこから奥に入れなかった」
 何が怖かったのか今となっては彼にも思い出せなかった。無性に恐ろしいものがそこにあって、オシリスはとうとう姉を置いてそこから逃げ出した。シリウスは夕方、日が暮れて帰ってきて乳母や母親を心配させたが、周囲の目には変わった様子は見られなかった。
「けど姉貴はそれから少し変わった。どうとは言えないんだけど前の姉貴じゃなかった」
 がらりと風景が変わった。満面に水をたたえ、広く開いた空間が彼らの目に飛び込んできた。
「そうだ……ここだった」
 大きく息を吐き出し、オシリスが言う。曲刀をしまい、全身についた枝葉を払いのけようとした。が、不自然なほど手が震え、幅広の刀がなかなか鞘に収まらなかった。オシリスも自分でそれに気づいた。
「びびってらあ」
 気を紛らそうと彼は自嘲したが、それでも震えはとまらなかった。
 ミラ自身にも、猛烈な恐怖が襲いかかっていた。あんな苦労をしてきたのに、とにかくここから逃げ出したくなった。
(なぜ)
 足が勝手に動き出しそうになる。空はいつのまにか真っ暗になり、ごうごうと森が鳴っている。
「帰れ」
「かえれ」
「カエレ」
 どこかで何かが彼にささやきかける。そうだ帰ろう、と思い、帰ってはいけないと思う。べちゃり、とすぐ隣に大きな蝦蟇が現れる。肌が触れ、ずるりとした粘液がミラの体につく。
 黄色いたてがみのある、巨大なかえるが彼を飲み込もうとする。かえるのくせに刃物のような歯があった。ミラは混乱した頭で腰の銃を抜き取り、蝦蟇に向けた。かえるは伸び上がり、のしかかるようにして頭からミラを飲み込もうとした。グリーンの目は、ありったけの憎悪を彼に向けていた。
「オシリス!」
 恋しい者と同じ色の瞳が、ミラを正気に立ちかえらせた。
 陥穽は解け、そこには汗だくになったミラと、自分を守るように刀を構えるオシリスがいるきりだった。恐怖におびえてのろのろ動く様子が、ミラの目にはがまがえるに見えていた。
 まわりこみ、曲刀を叩き落す。あっけないほど簡単に重い蛮刀は草の上に落ちた。ついでオシリスの肩を掴んで揺さぶる。
「しっかりしろ」
 だが彼はすさまじい悲鳴をあげたので、ミラはその片頬を張った。オシリスは体は俊敏だったが、心理攻撃にはひどく脆いところがあった。前回もそこを突かれ、彼はミラに負けたのである。
「な、なにすんだよ」
 はっとした顔でミラを見つめる。それから自分がさっきしまったはずの蛮刀が、足元に落ちていることに気がついた。
「なん……だ。でかいバケモンがそこにいて……」
 彼はミラが小さな銃を持ち出していることに目を止める。銃口は自分に向いていたに違いなかった。ほかに誰もここにはいない。
「なんだよ、それ」
 毒気を抜かれた顔だった。
「あぶなかったな。同士討ちをするところだったぞ」
ためていた息を吐き、ミラは彼を見やる。オシリスは暗示にかかりやすい。思い込みが激しすぎるのだ。
 かくいうミラも彼を殺してしまう寸前だった。シリウスの弟でなければきっと撃ち殺していただろう。よく見渡せば骨と化した人体が、そこここに散らばり転がっていた。
「サイコトラップだ。よく出来てる。ダゴニア王家はいったい何を守っているんだ」
 オシリスがめまいのしそうな顔になった。
「しらねえぞ、こんなの。オレんちで仕掛けたなら、なんでオレが引っ掛かるんだよ」
 確かに彼のいう通りではある。
「危険だから聖地になっているんじゃないのか」
「そうかもしれねえ。こんなところ、誰も来たがらないしな」
 オシリスもミラの言うことに同意した。その時だった。
 爆風と白光が彼らを包んだ。目を焼かれ、熱風を浴び、彼らは地面にうずくまった。
「なっ……」
 静かな湖面の上空に白いものが出現していた。はためく裾から見えるのは、サンダルを履いた少女の細い足である。彼女を押し包むように周囲に黒いもやが広がり、そこだけ異質な空間に見えた。
「シリウス!」
 立ちあがり、ミラが駆け出す。あとからオシリスも続いた。眠るように、白い服の少女は立てかけられた黒雲のベッドに横たわっていた。
「姉貴!」
 が、二人とも湖のほとりで立ち止まった。そこから先に進めなかった。どうしてか、見えない柔らかい壁があって跳ね返されてしまう。
「シリウス! こっちだ!」
 懸命にミラは彼女に呼びかけた。オシリスは見えない壁を叩き壊そうとしたが、なんの手応えもない。まるでどこか遠いところから映写機で映されているように、彼女の姿には存在感がなかった。
「シリウス! シリウス!」
 ミラの声が空しく森に吸い込まれる。
 不意に少女の目が開いた。とたんにスーパーノヴァのように空中の、彼女の全身が発光する。
「ミラ!」
 彼は遠くにシリウスの声を聞いたように思った。それが助けを呼んでいるようにも。
 だがそれも一瞬のことだった。彼女はブラックホールのような黒雲に吸い込まれていき、あっけにとられた二人の前から、何もなかったように消えうせてしまった。



モドル トップ ススム

inserted by FC2 system