ガレオンターク音楽ホール

 キール・デリがミキサー室に入れたのはここへ来て三日目の夕方であった。ザイナスはもういず、ホールの連中も仕事が終わって早々に帰宅していた。ちょうどよく無人になったので、彼は「忘れ物をした」と言ってホールの守衛に中に入れてもらったのである。
「カギかかってねえのかよ」
 守衛がいるからなのか、それとも何も取られるものはないからなのか、ミキサー室の入口に鍵はかかっていなかった。こんなことでいいのか疑問に思いながら、キール・デリはドアを開けて中に入った。思ったとおり、長い鉄製のらせん階段が地下に向かって伸びていた。かつん、かつんと自分の足音が響く。ブラッキィが背中から聞いてきた。
「きーる、ここはどこだ。どこへいく」
「地下だ。そこから出てくるなよ」
 ようやくミキサー室本体の扉の前に出る。そっちにも鍵はかかっていなかった。拍子抜けしながら、キール・デリはドアを押し開けて室内に入った。一面に並んだ録音機器といくつも巨大なスピーカーが目に入る。彼は真ん中あたりに置かれた回転椅子から、なんとなく正面のコンソール群に目をやった。
「あれ……?」
 こんなに巨大なホールなのに、コンソールテーブルが一つしかなかった。たいていはずらりと正面の壁際いっぱいを占めて、どこをどう操作したらいいのか分からないような、上下に動くつまみが大量にあるはずなのだ。
「田舎の小ホールならともかく、なんでだ」
 そしてそのコンソール群は、少なくとも彼が今までに目にしたものとは違っていた。近寄ってよく見てみる。上部にモニターが取り付けられているのは一緒だ。幅は思ったよりも大きい。しかし目を引く手動のつまみ部分は中央に寄せられ、その数も二十あるかないかである。そしてその部分を囲むように、たくさんの平べったいスイッチが周囲にセットされていた。
 キール・デリはそのうちの一つに「オペレーターオンリー」というボタンを見つけた。しかも目につく場所にはなく、機材の横部分にかなり小さいものが取り付けられている。まるで隠すかのようだった。さらにその横には小さい鍵穴がある。しかし周囲を探っているうちに、機械と機械の間に設置されたメンテナンス用の道具入れを見つけた。
 彼はドライバーやコード類に混じって入れてあった小さな鍵を取り出し、その鍵穴に差し込んでみた。簡単に鍵はまわり、ボタンに仕込まれた照明が明るく光りだした。
 今はオフである。彼はそのスイッチを押してみた。カチャ、という音が巨大なスピーカーの後ろから聞こえ、ついで隙間があいて、暗い室内に赤い光が漏れ出てきた。彼はシャツの下にあるプレートをぎゅっと押さえ、その隙間をくぐった。
 真っ暗ではなかった。キール・デリは隙間を閉め、正面を見た。そこには赤い光に照らされて、一段高い壇上に置かれたケージの中に巨大な生物が納まっていた。
「これ……か」
 不気味な生き物がアクリルの向こうから彼を見下ろす。その目にはまったく感情は感じられず、丸い全身には見たことがある黒い虫の翅が一面に生えている。彼はしばらくその生き物を正面から見つめていたが、思いついて脇に回り、ケージ横に下げてあるプレートを見つけ出した。
「#11か。俺、#5なんだよ」
 生き物の目が少し動いたように見えた。
「オヤジは反対だったみたいで俺はこんな姿なんだけどさ。お前、ここで何の仕事してんの」
 だが、彼は横に移動したことでプレートとともに、その生き物がどんな扱いをされているのかをまざまざと見てしまった。
「……ひでえな。痛くないのか」
 後部は切開され、かなり雑にチューブ類が詰め込まれていた。口とおぼしき部分にも細いチューブが差し込まれ、固定されている。給餌用だろう。そのためこの生き物は口を開けることができなくなっていた。
「名前もないんだな」
 #11のプレートはいくら確認しても名前の記載はなかった。そして彼はその代わり、プレートの下げられている位置に「交換目安時期:二年」という記述を見つけてしまった。注意書きとして「交換後は速やかに廃棄すべし」ともある。だから名前もないのだ。もう一度、彼はケージ内に納まっている生き物を見る。
 さっきまで何の感情も見せなかった目が、彼のことをじっと見ていた。
「きーる。どうした、きーる」
 そこにしゃがみこんで動かなくなってしまった彼に、ブラッキィが気づかわしそうに背中から声をかけた。
「なんでもない。なんでもないんだ、ブラッキィ」
 くぐもった声でキール・デリは返事をした。ブラッキィはそれが涙声であることに気づいた。
「きーる、なくな。なくなよ」
「なんでもねえよ」
 暗い中にしゃくりあげる声がする。やがてそれが静かになって、キール・デリはまたあの隙間をくぐってミキサー室へと戻っていった。

 翌日からホール内の雰囲気はだいぶ変わったようだった。どこがどうというわけではないのだが、なんとなく人を寄せ付けない空気が一変し、古い建物によくある親しげな様相をみせるように思われたのである。
「じゃ、お願いします」
 反響の仕方が変わったのだ。キール・デリはステージ上で楽器を弾きながら思った。場所とあの機材の少なさから思うと、#11の仕事はこのホールのミキシングなのだろう。生体エコライザーだ。二年で交換ということは、あのタイプのウォールナッツ・ブレインには二年しかこの作業はできない。交換された二年目以降のウォールナッツ・ブレインは先代のデータも引継ぎ、より精緻な作業ができるようになる。
「キール君、いいな」
「ですね」
 あのミキサー室では現在、二人で作業をしている。煩雑な調整はすべてシステムにまかせ、人間は手前の部屋で簡単な指示を出すだけだ。その奥に潜んでいる怪物のことは知る由もない。
「このボタン、まだ駄目なんですか」
 ミキサー室に詰めているうち、若い方が言った。オート、と書かれたボタンを見つけたからである。ああ、と上司らしいほうが画面を呼び出した。フルオート、セミオート、手動と三段階の表示がされる。フルオートはまったく人手を要しない。部屋を空けてしまっても問題がないとの話だった。ただし、そのための準備として最低でも十日以上のホールの稼動が必要だと、開発した音響会社は説明したのである。
「これが目玉のはずなんだけどなあ。ま、もう一回やってみるか」
 フルオートのボタンが押された。背後の部屋に指示が伝えられる。ぶわっ、という感じで音の質が変わった。
「いけますね」
「いつ使えるようになったんだ」
 あれほど関係者の頭を悩ませた調整が、いつの間にか終わってしまっていた。後は楽器と奏者を変えておいおいデータを収集していけばよい。
「終わったよ。もうヴァイオリニストいらないな」
「本当ですか」
 あと数日、キール・デリとの契約は残っていた。演奏が終わった後の彼を、マイクでステージ上から呼び出す。楽器を持ってキール・デリは、ミキサー室と書かれた扉の前まで行った。
「じゃ、明日とあさってはどうなるんだ」
 キール・デリがやってきた二人にたずねた。うーん、と「チーフ」という名札を提げた年上のほうが言う。
「明日は一応来てもらうよ。オートシステムが動かなかったらまたやってもらうことになるし。ただもう安定しているから、確認だけだね」
「安定している?」
「そう。不思議なんだけどね。昨日まで全然駄目だったのに」
 聞き返した彼に、チーフが言った。キール・デリはミキサー室の奥にいる、彼の同族のことを思い浮かべた。ここにいる人間達はまったくあの存在を知らないのだ。
「なら大丈夫なんだろう。あさってからは俺、来ないよ。どうせその後は予備日だったし」
 え、とチーフとその部下は驚いた顔になった。契約はまだある。しかもザイナスの紹介とはいえ、流しの若者だ。絶対にごねられると思ったのである。
「弾かなきゃ金くれないだろ」
 キール・デリはそう答えた。
 
 その翌日、キール・デリは仕事が終わった後にまた、あのミキサー室奥の小部屋に来ていた。ホール内はもう誰もいない。彼は全員がいなくなるのを待って、こっそりと侵入したのである。
「また来たぞ」
 おとといと様子はまったく変わっていなかった。時間はおとといよりも少し早い。彼はリュックに入っていたビニール製のレジ袋から紙巻きのソフトキャンディを取り出した。丸い粒が一列に並んで包装されているタイプのものである。他には炭酸飲料が入っていた。持ってきたキャンディを噛みながら、キール・デリは#11に話しかけた。
「名前もないなんてひどいよな」
 楽器をケージの近くに置いて、その周囲をぐるぐるとまわる。あのあと彼はそれとなく最新式のシステムについて聞いてみた。かなりデリケートなシステムらしく、月に一回、メンテナンスに専門のオペレーターが音響会社から来る。それも夜間とのことだった。ホールの都合と音響会社の都合でそうなったらしい。だから実際の作業は何をしているのか、ホール側でシステムを使う人間は何も知らないのだった。
「だからこの部屋に鍵もかけてない。ホールの玄関だけだ」
 これもそれとなく聞き出した情報だった。本来はかけなくてはいけないのだが、まだホールの稼動前であるし、担当者もいちいち鍵を使うことを面倒くさがったらしい。もっとも#11をこっそり持ち出すのは至難の技でもある。
「俺さあ、どうしたらいいのか考えてたんだよ」
 キール・デリの言葉にウォールナッツ・ブレインの目が動いた。
「でも俺バカだからいい方法が見つからなくてさ。亜人種はバカだっていうけど本当だよな」
 彼は虫の翅がついた丸いボディを見ながら話し続ける。
「最初は俺が捕まらなければいいと思ってた。でも、それじゃ駄目なんだよな。だってお前がいるんだからさ」
 さらにキャンディを口に放り込み、キール・デリは残りをズボンのポケットに突っ込んだ。
「俺だけじゃ駄目なんだ」
 その時、後ろにあるミキサー室との境目の隙間が動いた。
 彼ははっとしてそちらを振り向いた。誰か入ってくる。彼は楽器をつかむと急いでケージの後ろに回り込んだ。ごとごとと壁面を押し上げ、スーツを着た人影が上体をかがめているのが見える。キール・デリはケージの後ろのさらに奥、チューブの繋がっている機材やコンセントの隙間に入り込み、楽器は自分の後ろに隠した。間に合った。
 もう一人、続いて入ってくる。こちらもスーツ姿だ。初めの二人がケージの前まで来たあとに、また一人現れた。最後の一人はかなり窮屈そうにしており、最初の一人が手を貸した。その最後もケージの前に立つ。
「狭いな」
「仕方ありません」
 最後の一人が文句を言うと二番目に入ってきた一人が言った。最後の一人に手を貸した最初の一人は、呆然とケージを眺めている。そしてこう言った。
「とうとう完成したんですね」
 キール・デリには聞き覚えのある声だった。
「ナンバーはいくつですか」
「#11だ。だが、まだ完成品ではない」
 質問をした最初の一人は、ケージの前までゆっくりと歩いてきた。赤い光に照らされて、キール・デリからはその顔を見ることができた。
「もう充分じゃないんですか。社長、私にはそう見えますが」
 リンデン氏だった。いいや、とサラティア社の社長は言った。
「まだ全然だ。リンデン、こいつはな、総寿命で五年も持たんのだ」
 短すぎる、そう社長は言った。
「お前とエンライに命じたものは十五年以上の長寿命だったはずだ。そうでないと本来の用途では使えん。お前がすっとぼけた#5は存在している。探し出したらお前に続きをやってもらう」
 少し間があった。ややあってリンデン氏は言った。
「やりませんよ。何度言ったら分かるんです。私はエンライではないんですよ」
「いいや、やってもらう」
 社長は強情とも取れる言い方で言った。リンデン氏は肩をすくめる。
「で、その#5は見つかったんですか」
 いまいましげに社長は言った。
「逃げられた。今、スミノフが探している。まさか返り討ちにあうとは思わなかった」
「返り討ち? 本当ですか?」
 意外そうなリンデン氏の声がした。社長の視線の先にいた営業本部長はリンデン氏に言った。
「クラス三以上の編成でやられたよ。今、クラス五で編成し直して捜索中だ。で、リンデン、少し聞きたいんだが」
「なんです」
 営業本部長はタバコを取り出し、場所に気がついてまた引っ込めた。
「お前たちがつくっていたのは本当に亜人種だったのか」
 今度こそリンデン氏は驚いたようだった。
「何を言ってます。#5が人間だったとでも言いたいんですか。私もエンライも、提出したデータ以上のものは作成してませんよ」
 営業本部長は、今度は数枚の書類を取り出した。いずれも古びて端が日に焼けている。そのどれにもエンライ・コーダ、またはクリストファー・リンデンバウムの署名があった。
「こっちがお前の名前、こっちがエンライの名前だ。同日に二ヶ所で同じ器具と薬品、それに同じ実験の手続きが取られている。持ってこなかったがまだまだたくさん出てきた。つまり同じものを二ヶ所でつくっていたわけだな。そして片方は処分し、片方はエンライが持ち出した。どう言い訳するんだ、クリストファー・リンデンバウム」
 キール・デリからはよくリンデン氏が見えたが、その表情は読めなかった。
「これだけのプロジェクトです。スペアをつくるのは普通ですよ」
「ではそのスペアはどうした」
「知りませんな。エンライが持ち出したならそうなんでしょう」
 キール・デリはこの時、ごく小さいモーター音が室内に響いていることに気がついた。いつからなのかは分からない。その音は隣のミキサー室から聞こえてくるようだった。
「では#5のデータは」
「それも知りませんな。実際に作業をしていたのはエンライです。私は事務と実験の補助に当たっていたに過ぎません。そのことはあなたがたもよくご存知のはずだ」
 社長が言った。
「補助をしていたならばデータがどこへ行ったかは分かるだろう。どうなんだ、リンデン」
 リンデン氏はうんざりしてきたようだった。
「この間も言いましたがね」
 とん、とアクリルのケージに手をつく。#11の黒い虫の翅が一斉に逆立った。
「私は何も知らんのです。エンライが逃げたのも当日になって知ったんですよ。それにもう、このプロジェクトは終わりにするべきです。いくら金になるからってこんなものはつくるべきじゃない。#5があたりまえの人の姿をしているならなおさらだ。それは失敗だったんです」
 #11の目が動いた。いや、とサラティア社の社長は答える。
「これがどれだけ儲かるか分かっているのか。それにいくら人の姿をしていようとも#5は人間ではない。ならば捕獲して研究を続けるべきだ」
 ふう、とリンデン氏はため息をついた。
「社長、いやワーレンさん」
 リンデン氏の言葉に、キール・デリはぎくりとして耳をそばだてた。
「私はね、将来ある若者に向精神薬を注射するような真似はしたくないんだ。あんたがたが言っているのはそういうことだよ。そりゃあ#5も#11も非合法だ。だけど、良心を捨てたら終わりじゃないのかね」
「リンデン、言葉を選べ」
 営業本部長が言った。リンデン氏は首を横に振る。
「何度でも言いますよ。あんたがたが言っていることには賛成できない。あんたがたに協力することもごめんだ。スミノフ、あんたはもうちょっとましだったと思っとったが、いいかげん前から金で良心を売り払ってしまったんだな」
 コト、と#11のケージ裏で物音がした。
「誰かいるぞ! 誰だ!」
 営業本部長が小走りでやってくる。キール・デリは物陰から飛び出し、持っていたレジのビニール袋を素早く営業本部長の頭にかぶせてその口を絞った。視界を奪われた営業本部長が転ぶ。彼はその背中に乗って動きを封じ、ついでにケンタが使ったガット弦で両手を後ろ向きに縛り上げた。
「あーあ、もったいねえ」
 社長のほうはすでに逃げようとしていたが、リンデン氏が出口をふさいでいた。狭い室内に怒号が響き渡る。
「どけ、リンデン!」
「嫌ですな」
 ガタガタとリンデン氏とサラティア社の社長がもみ合う。キール・デリが加勢しようとしたその時、パシッ、と上のほうでショートした音がした。そして天井から貼り付けられたコードが剥がれてきて、狙いすましたかのように社長の頭に一撃をくらわした。
「あっ! 社長!」
 リンデン氏が叫ぶ。そのまま社長は昏倒してしまった。営業本部長は転がされたまま奥のほうで何か叫んでいるが、身動きがとれずじたばたともがいている。キール・デリはそちらを振り向き、リンデン氏に逃げるようにうながした。
「ぜんぶ聞いておったかね」
 出入り口の隙間をくぐりながらリンデン氏が言った。
「よく聞こえたよ」
 キール・デリが答える。そして、リンデン氏とキール・デリはその位置のまま、同時に#11を見上げた。
「最後の、おまえだろ」
 キール・デリが言うと#11の目がきょろっと動いた。隣室のモーター音も止まった。キール・デリとリンデン氏はそのまま一目散にその場から逃げ出した。

 

   

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