ロニセラの山城からオゼイユの病院まで

 息を切らしながら急な坂道を登る。もう少しなのだが体がついていかなかった。足元もガレ場に近いような岩場で、次にどこに踏み出していいのか迷うようなところだった。彼にこの場所を教えてくれた人間ならば、足元など気にすることなくどんどんと登っていってしまうだろう。しかもその人間は、背中と右手に大荷物を抱えてここを踏破したのである。
 それでも休憩をはさみながらなんとか坂を登りきり、目標の場所についた。言われた通りに崩れかけた城門と、そこに巻いてある黄色いテープが見える。ふう、とため息をつき、伯爵ことサーパス・リー・ルドワイヤン博士は城門の横にある破れ目から中に入った。今日はさすがに白衣ではない。上下ともに軽いハイキング用の服装である。靴もトレッキングシューズだ。顔は大きなマスクで口元を隠してある。出発時に鏡で見て冗談のようだと自分で思ったが、風邪引きで周囲にはここまで押し通してきた。色違いの両目も気になったものの、そこも隠すとそれだけで通報されかねない感じだったので、目は諦めてそのままで電車に乗った。
 入ったとたんに広い中庭が目についた。中央部分に白い石のベンチが見えたので近寄ってみる。古いものの、しゃれたデザインのベンチだった。手を伸ばして座面を触る。ほこりまみれかと思ったが、最近使われたあとがあった。では、と彼は荒れ果てた城を見上げる。
「本当みたいですね」
 少し離れたところにある地下倉庫に入ったら出てきたということであったので、同じように地下倉庫に潜ってみることにする。しかし潜る必要はなかった。ルドワイヤン博士の探し人は、地下倉庫の入口に門番よろしく、金細工の剣を立てかけて彼のことを待っていたのである。
「変なヤツが次々ときやがる」
 厚い木の扉にもたれかかり、腕組みをしたままオラディア公は言った。話どおりの金髪とクリアな青い目である。両目ともが見事な青であるのを見て、ルドワイヤン博士はうらやましく思った。まがいものの自分とはまったく違うのだ。
「ロニセラの領主、ルイ・L・オラディア公とお見受けいたしますが」
 そのままの姿勢で、ちらっと相手は彼のことを見た。
「私は生化学者のサーパス・リー・ルドワイヤンと申します。公にお目通り願いたく、ここまでやって参りました」
 口上を聞いてオラディア公は寄りかかるのをやめ、彼のほうを向いた。
「学者先生が何の用だ。ついでにその変なマスクを取れ」
「失礼いたしました」
 言われて気がつき、ルドワイヤン博士は大きなマスクを取った。加工された犬歯があらわになる。オラディア公はおかしなものを見る顔つきになった。
「妙な細工がされてんな。見た通りでもねえし。本当に何しに来た」
 相手の機嫌を損ねないよう慎重に言葉を選びながら、ルドワイヤン博士は答えた。
「私は吸血鬼のレプリカということで細工されました。一度本物を見てみたいとずっと思っていたのですが、つい先日、こちらに公がいらっしゃるとお聞きしてここまでやって参りました」
「誰に聞いた」
「キール・デリというヴァイオリン弾きの若者です」
 あいつか、とオラディア公は言った。また木の扉によりかかる。
「楽器を世話してやったやつだ。まだ生きてんのか」
 そういえば何があったかは聞いていなかった。聞いてもキール・デリは気が進まない様子で教えてくれなかったのである。
「ええ。元気でした」
 その時、ルドワイヤン博士の持っていた携帯端末が鳴った。無視しようと思ったが緊急の文字が点滅している。彼はオラディア公に断って通信をオンにした。
「はい、私ですが……ジェナス、もう少し分かりやすく話すように」
 電話の向こうはかなり興奮しているようだった。話を聞くうちに、しだいにルドワイヤン博士の顔が曇っていく。
「ホーバーさんはもう行きましたか。ジェナスは残ってください。プレスにはうかつなことは話さないように。それから全データを向こうに転送してください。こっちにも映像があれば送ってもらえますか。転送用のセキュリティロックは……」
 次々と指示を出し、最後に彼はこう言った。
「一度自宅に戻ってすぐホーバーさんのところに向かいます。必要があれば指示をします。いいですか、余計なデータは一切出さないように」
 通信が切れる。ふう、と彼はため息をついた。
「せっかくお会いできたのに行かなくてはなりません。もしまた次の機会があれば、こちらまでお伺いしてもよろしいでしょうか」
 言っているうちに数枚の画像が転送されてきた。ルドワイヤン博士はやかましいアラームをオフにする。オラディア公はその様子をさっきからながめていたが、何を思ったか剣を置いたまま、すぐそばまでやってきた。
「いいな。それ、見せろ」
「えっ?」
 手に持った画面を覗き込まれ、びっくりする彼にオラディア公は言った。
「ここ何にも通じねえんだよ。なんでそれ、使えるんだ」
 言いながらルドワイヤン博士の手から端末を取り上げる。通信ありの表示がまたたいていた。
「衛星端末なので……研究者用ですが」
「ふーん。どこで売ってんだ」
 なんだかおかしなことになってきた。それでもルドワイヤン博士は一応説明をする。
「取り寄せです。数がないので。手続きしないと送ってもらえませんし、最低でも二週間くらいはかかります」
 オラディア公はじっとルドワイヤン博士の顔を見た。
「お前、もう行っちゃうの?」
「……はい」
 間があった。何か考えているようでもある。
「じゃあ俺も行くわ。金と荷物取ってくっからよ、ちょっとそこで待ってろ」
「えっ、あの……」
 勝手なことを言ってオラディア公は荒れ城に戻っていった。本当にくっついてくるのか不安になりながら、サーパス・リー・ルドワイヤン博士は山城の中庭に立っていなくてはならなかった。

 何箇所か寄り道をして、ルドワイヤン博士とオラディア公はオゼイユの病院についた。ルドワイヤン博士は病室を見つけると飛び込んでいった。
「ホーバーさん、状態はどうですか」
 あとからオラディア公が二人分の荷物を持って入ってくる。途中の階段で、ルドワイヤン博士が息切れして動けなくなったからであった。ついでに彼はルドワイヤン博士本人もかついで階段を登った。近くにあったエレベーターを無視したのはオラディア公の落ち度である。
「あ、伯爵。休暇中すみません」
「伯爵? お前、そんなあだ名持ってんのか」
 荷物を渡しながらオラディア公が言った。自分の荷物から白衣を出し、はおりながら彼はオラディア公に答えた。 
「この顔ですから。本当はあまり外に出たくはないんです」
「ふーん」
 さて、困ったのはホーバーであった。大荷物を持ってルドワイヤン博士についてきた金髪の若者は部外者であるし、何者かも分からない。仕方なく彼はこうたずねた。
「あの、伯爵。この人はなんですか」
 ルドワイヤン博士はもうカルテを確認している最中だった。ああ、そうでした、とホーバーを振り向く。
「ロニセラの領主、ルイ・L・オラディア公です。途中でお帰りになるということだったのですが、キールさんに用があるということで一緒にいらっしゃいました」
 ホーバーは理解しがたい気分になった。それはそうだ。
「……伯爵が会いに行くと言った、あの、山城の吸血鬼ですか」
「そうです」
 人相はたしかに聞いたとおりである。ルドワイヤン博士の態度からいっても貴人なのであろう。しかし、と彼は思った。
「会いに行くと言っただけで、連れてくるとは一言も聞いてなかったように思うんですが」
 どう説明したらいいのであろう。悩みながらルドワイヤン博士は言った。
「成り行きです。ところで公、キールさんにお会いになりますか」
 言いながら彼は仕切ってあったカーテンを開ける。病室に置いてあった丸椅子に勝手に座って、オラディア公は言った。
「そいつじゃねえ。そいつの楽器に用がある。にしても臭いな」
 全身に包帯を巻かれて、キール・デリは病室のベッドに横たわっていた。ついている点滴の管は二本、枕元には壊れたヴァイオリンが置いてある。あーあ、とオラディア公はその楽器を手に取った。
「メチャメチャじゃねえか。俺、じいさんになんて言い訳したらいいんだよ」
 点滴の中身とキール・デリの瞳孔を確認し、ルドワイヤン博士はホーバーに聞いた。
「今はどんな状態ですか」
 ホーバーが答える。
「重傷ですが怪我はそうでもありません。まあ四ヶ月もあればなんとかなるでしょう。しかし昏睡から覚めないんです。もう三日目ですよ」
「昏睡?」
 ええ、とホーバーは言った。
「長すぎます。あまり長いとやはり心配ですね」
 楽器をいじっていたオラディア公が言った。f字孔の中をのぞきこむ。
「そいつ、半人だったんだな。あの時は全然におわなかったから気づかなかった。今日はすげえくせえぞ」
「におい? あの、失礼ですが何のことですか」
 興味をひかれたホーバーが言った。楽器を裏返し、オラディア公はその質問に答えた。
「ああ。半人ってくせえんだよ。混ぜ物のにおいなんだろうな。サーパスは加工品だがにおわねえ」
「半人とは亜人種のことですね」
 ルドワイヤン博士が確認をする。
「そうだ」
 ふむ、と彼は考える表情になった。
「公。キールさんとお会いになったのはいつ頃ですか」
「一年経ってねえな」
 ルドワイヤン博士はさらに考え込む表情になる。やがてこう言った。
「ホーバーさん、もう一度検査してみましょう。試薬は何種類ありますか」
 えっ、とホーバーは驚いた顔になった。
「三種類くらいしかありませんが……それにここではセンターと同等の設備がありませんので難しいですよ」
「それだけあれば充分です。ホーバーさんが培養をする時点で切り落とした、異種化RNAの塩基部分がどのくらい残ってるか調べます。前回のデータも揃っているはずですね」
 ホーバーも意図が分かった。
「もしかして不活性化のロックが外れていると、そう思われるのですか」
 ルドワイヤン博士はうなずく。
「キールさんはもう成人してしまっていますから、今から変化があれば間違いなく死亡します。ホーバーさんは同時に抑制剤も探してください」
 採血のため、ホーバーは注射器を用意して右腕部分にかかっている毛布をめくった。血管を探している時に隣で見ていたオラディア公が言った。
「指が動いてるな」
 そこにいた全員がキール・デリの右手を見た。何を弾いているのか、人差し指と中指が楽器を押さえる形に動いていた。
「いったい何を弾いているんですかね」
 ホーバーは思わず手を止めて言った。オラディア公はしばらくその動きを見ていたが、やがて言った。
「いるんだよな、こういうヤツ」
 オラディア公は壊れた楽器を取り上げた。
「何か入れ物くれ。壊れてるからなんでもいい」
 ルドワイヤン博士が大き目の紙袋を差し出した。それでいい、とオラディア公は受け取り、キール・デリの楽器をその中に突っ込んだ。
「じいさんのところに行ってくる。端末もしばらく来ないんだろ」
「あと十日ほどはかかりますね」
 ルドワイヤン博士が答える。それを聞いてオラディア公は病室から出て行った。

 キール・デリの容態ははかばかしくない。オラディア公が出て行ってからすでに三日もたっていた。それでもまだ目覚めないのだ。
「ホーバーさん、抑制剤の量を増やして様子を見ましょう。変化のほうが速すぎて効いていないようです」
 その間に見舞い客がやって来た。ザイナスとそのマネージャー、それにリンデン氏である。ザイナスはブラッキィを、リンデン氏は白表紙の、キール・デリに関する調査報告書を持ってであった。ザイナスとリンデン氏は一緒に病院にやってきた。
「いや、まさか会ってもらえるとは思っておりませんでしたよ」
 どこか場所を、とザイナスは言ったのだが、ルドワイヤン博士のこともあって結局は病院内の喫茶店となった。ホーバーは病室に詰めている。ザイナスのマネージャーはキール・デリの顔を見て、また迎えに来るといって帰っていった。
「キールさんをこの病院に運んだのはあなただとお聞きしましたので。サーパス・リー・ルドワイヤンです」
「どうも。クリストファー・リンデンバウムといいます。サラティア社でエンライ・コーダの補佐をやっとりました。今は子会社で営業をしとります」
 お互いに右手を差し出し、握手を交わす。ルドワイヤン博士はまた大きなマスクをかけていた。リンデン氏はびっくりしたようにその顔を見ていたが、ふう、とため息をつくとこう言った。
「門前払いを食うと思ってザイナス君に仲介を頼みましたが……よかった。これを見てからずっとお話をうかがいたいと思っていたのですよ」
 リンデン氏は真っ白な表紙の私製本を取り出した。ルドワイヤン博士はそれを受け取り、ぱらぱらと見て中を開いた。
「もしかして、ここですか」
 ホーバーがつくった培養体の写真とデータが載っているページを、ルドワイヤン博士は指し示した。そうです、とリンデン氏がうなずく。
「完成体までやったのかと思いましてな。そちらの技術力であれば可能でしょう」
「いいえ」
 ルドワイヤン博士は言いながらマスクを外した。面倒くさくなったのである。同席していたザイナスが仰天したが、しかし何も言わず、話を聞くことに徹することにしたようであった。リンデン氏はまたその顔をじっと見た。
「気になりますか」
 ルドワイヤン博士がたずねる。リンデン氏は首を横に振った。
「二十年以上前に社であなたの映像を見ましてな。本当にまったく変わらないので驚きましたよ」
「そうですか」
 ルドワイヤン博士は少し笑ったようであった。そのまま話を続ける。
「依頼内容はここまででしたから。ホーバーさんがグラフィックは作りましたが、実作はしていません。それに必要もありませんし」
「そうですか」
 リンデン氏は迷っているようだったが、とうとうこう言った。
「キール君は……彼の中に入っている情報はエンライの提出した#5と違うのですよ。全解析をされていたので社に保管されていたデータと照合しましたが、一部違うのです。こちらがそのデータです」
 リンデン氏はケースに入った小さなチップを取り出した。驚いたのはルドワイヤン博士である。
「そんなものを持ち出していいのですか。社外秘でしょう」
「もうクビです。彼と一緒に社長を殴りましてな。辞表も出してあります」
 あっさりとリンデン氏は言った。
「なぜかなかなか受理されんのですがね。それで、グラフィックを作られたということならば、これもお願いしたいのですよ。差異を確認したいのです」
 ふむ、とルドワイヤン博士は色違いの目で天井を見て、それからリンデン氏に視線を戻した。少し考えたようだった。
「センターでの、通常の依頼業務としてお受けしましょう。そのほうがどちらにとってもいいと思いますよ。私ではなく代表のジェナスあてに送ってください。終わったら結果を送り返します」
「ジェナスというと、この彼ですかな。代表ですか」
 リンデン氏は本をひっくり返し、裏表紙を見た。
「そうです」
 うむむ、とリンデン氏はうなった。
「少し気になるのですが、おたずねしてもよろしいかな」
 なんでしょう、とルドワイヤン博士は言った。
「このジェナスという彼は亜人種だと思うのですが、違いますかな。名前のあとにコード付けがある」
「そうです」
 さらにリンデン氏は言った。
「しかし、通常はこんなコードはつきませんな。それにこの枝番も。しかもさっき、あなたは彼は代表だとおっしゃった。あまり考えたくはないのですが、このサイモン財団遺伝子研究保存センターにはルドワイヤン博士、あなたがいらっしゃる。まさかとは思うのですが、その……」
 口ごもるリンデン氏に対し、簡単にルドワイヤン博士は肯定した。
「思われてる通りですよ。亜人種となっていますが、彼はフリークスです。私が何も情報を出さないので、前代表のミルズが業を煮やして同じように組み上げました。私の解析結果はセンターにありますからね」
 あまりに簡単に言われてしまったので、リンデン氏は何も言えなくなってしまった。
「ただし、最終処理として十代のうちに外科処置が必要です。それ以降はずっと投薬ですよ」
 長めにカットされた耳横の髪を、ルドワイヤン博士はかき上げた。耳の後ろに、長く縦に伸びるすさまじい手術痕が現れる。ザイナスとリンデン氏はそこから目を離せなくなった。
「こういう目にあうのは私だけで充分です。そう思いませんか」
 ルドワイヤン博士はまた元のように傷痕を隠した。ためらいがちにザイナスが言った。
「何の手術の跡なんですか」
 ルドワイヤン博士が答える。
「脳下垂体の一部切除をしたようです。古いデータを確認しないとよく分からないのですが。半年間吐き気とめまいで動けませんでしたよ」
 ふう、とリンデン氏はため息をついた。
「まるで戦疵だ。ルドワイヤン博士、そのジェナスとかいう彼にも、こんな痕があるのですかな」
「いいえ」
 彼は答えた。
「私がやめさせました。ミルズは研究の邪魔をされて激怒してましたが。まだ分かりませんが、ジェナスは普通に生きて大人になるはずです。彼自身は何も知りませんからね」
「何をしました」
 リンデン氏の質問にルドワイヤン博士は答えた。
「彼が十五の時に、かなりきつくかかっていた暗示を解いたんです。他にはまあ……ちょっとだけいろいろ教えましたが、それだけですよ」
 多感な時期にルドワイヤン博士はジェナスの暗示を解き、外界についてほんの少しだけ吹き込んだ。センター内にいていつまでも他人のいうことを聞くこともないと、それとなくそう教えた。
「結果として被験体が逃げ出したので、不老体の研究続行は不可能になりましたが。一定期間の完全管理ができなければ、不老体はつくれないんです」
 リンデン氏は驚いたような、あきれたような表情になった。いやいや、と言う。
「なんとまあ……これではウチの脳筋な連中では勝てん。各社ともに伝説になってますよ」
 くすっ、とルドワイヤン博士は笑った。
「伯爵でけっこうですよ。そちらのほうがあなた方には通りがいいでしょう」
 そして、もう昔のことですが、そう付け足した。

 

   

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