フェヌグリークでのクリスマス休暇(後編)

 

 実はキール・デリへの支払いは演奏料だけである。だからトラヴィスの屋敷に行っても弾かなければ金は出ない。何をさせられるのかと思っていたが、彼はいまだにオラディア公のとなりでじっと座っているだけなのだった。
「こいつと対の楽士を探しているんだが」
 単刀直入である。パーティ帰りのままの格好をしたオラディア公に、トラヴィスは顔をしかめた。屋敷内にいて彼と対面しているのは、オラディア公とキール・デリの二人だけである。剣士と少年は待機であった。
「誰に聞いたが知りませんが」
 慎重にトラヴィスは言った。
「貴公の眷属に手を出すような大それたことはしませんよ。どんな仕返しをされるか分かりませんから」
 どうやらオラディア公は仲間内でも武闘派で知られているようだった。それならあのパーティ会場での一変した空気も分かろうというものだ。
「そうかよ」
 キール・デリはまだ頭痛が抜けなかったので、黙って座っていた。今何かしろと言われてもとうてい動けない。座っているだけで精一杯である。
「天使の糸巻がついた古い楽器を持っていると聞いた。そんなもん持ってる奴は一人しかいねえ」
 トラヴィスは少し動揺したかもしれない。しかしそれをまったく見せずに言った。
「お間違いでしょう。少々酔われているのではないですか」
 丸腰の上にいつも護衛についている剣士もいない。そばにいるのは楽器を持ったなんでもない若者だけである。それを見て取って、トラヴィスは強気に言った。オラディア公は武闘派ではあったが、泥臭いつかみ合いなどは絶対にしない。それも彼らの間ではよく知られていることであった。
「画家どもはどうした」
 オラディア公は話を変えた。トラヴィスはそこにあった盆にグラスを用意し、彼らに酒をすすめてきた。
「全然ですよ。いるだけで描きやしません。食事を用意するだけで一苦労です」
 オラディア公は少しだけグラスに口をつけたが、キール・デリは断った。まだ頭痛がしていたからである。無理すんな、とオラディア公は言った。
「そちらの楽士はずいぶんとお気に入りのようですな。貴公にしては珍しい」
 トラヴィスの視線がキール・デリに向いた。蛇に似た目つきだった。
「こんななりだがシャトーブリューンの第一ヴァイオリニストだ。それにいろいろ使える」
「ほう」
 ぞっとするような目つきだった。トラヴィスは未練たらしい感じで、その目つきで上から下までキール・デリのことをじろじろと眺めわたした。
「なにやら対になる楽士がいるとの話でしたな」
「ああ。二人揃ってりゃ完璧なんだが……そううまくはいかねえな」
 オラディア公は盆に目を落としながら言った。トラヴィスの視線はキール・デリに注がれたままである。顔を上げたオラディア公はその様子を見て言った。
「そんなに気になるのか」
「いや、まあ」
 トラヴィスの返事は上の空であった。相変わらずじろじろとキール・デリのことを注視している。不気味なくらいであった。
「あの……この楽士はどこで見つけられたんです」
「城にやって来た」
 何か、迷い込んできた鳥や猪を捕獲したような物言いであった。オラディア公からしたらキール・デリも猪もあまり変わらないのかもしれない。それにしてもさっきからの、キール・デリに対するトラヴィスの視線はぶしつけなほどであった。
「なんなら譲ってやってもいいぞ」
 そのトラヴィスの執着っぷりに、オラディア公はこんなことを言い出した。
「本当ですか」
 ふるい付き合いだからな、と、またグラスを口に運ぶ。トラヴィスの口元がほころんだ。
「それに一人しかいなくちゃしょうがねえ。もういらねえよ」
 びっくりしたのはキール・デリである。彼は思わずオラディア公の顔を見た。その瞬間にとてつもなく鋭い頭痛が襲ってきて、キール・デリは自分のことなのに反対することができなかった。
「少し払うなら置いていってもいい。好きにしろ」
 トラヴィスは立ち上がっていそいそと部屋の奥から金庫を持ってきた。キール・デリが見たこともないような分厚い札束を取り出し、オラディア公に手渡す。確かに亜人種はモノ扱いではあるのだが、さすがにこれはあんまりであった。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 彼は頭痛をこらえながらそう言ったが、オラディア公はさっさと立ち上がって帰り支度をしていた。
「じゃあ元気でな。大事にしてもらえよ」
 そう言い残し、オラディア公はトラヴィスの屋敷を出て行ってしまった。残されたキール・デリは楽器を抱えて呆然としていたが、トラヴィスに屋敷奥の小部屋に引っ張っていかれた。
「いい買い物をした」
 そしてまたじろじろと彼の全身を眺め渡した。さっきの気持ち悪い、蛇のような視線でである。
「対の楽士か。多分あれだろう。それにしても相変わらず気まぐれなガキだ」
 トラヴィスは抜かりなく外から鍵を掛け、部屋を出て行った。逃げようと思ったが、この部屋には窓も足場も何もなかった。完全に監禁用である。キール・デリはそのつくりからサラティア社の捕獲棟を思い出したが、それだってもう少しましだった気がした。
「ひでえ」
 楽器を抱えてへたりこんでいると、鍵が開けられてドアが開いた。トラヴィスである。ものすごく近くまで寄ってくると、キール・デリの着ている襟の高いシャツの第一ボタンを外し、首筋を確認した。
「こっちも手つかずか。本当に贅沢だな」
「近寄るなよ、おっさん」
 何をされるか分からない上に息がかかって気持ち悪いので、キール・デリは楽器を抱えたまま後ろへいざって逃げた。にやにや笑いながらトラヴィスは彼の腕を引っ張る。
「あんな脳筋小僧よりもずっといい目を見させてやるぞ。おとなしくしているならば一族に加えてやってもいい」
「いらねえよ。俺はこのままで充分だ」
「遠慮するな」
「してない」
 掴まれた腕を振り払い、それでも楽器は大事に抱えてキール・デリは小部屋のずっと奥に逃げた。すると、じゃらっという音がして彼の襟元からプレートのチェーンがのぞいた。ボタンが外されたので出てきたのである。なんだこれは、という感じでトラヴィスは近寄ってきてそのチェーンを引っ張り出した。プレートの文面を見たトラヴィスの表情が、みるみるうちに変わる。
「お前、亜人種か?」
「そうだよ、食えねえよ。だから帰してくれ」
 オラディア公の護衛についている、黒スーツの剣士が言ったことを思い出して彼は言った。確か彼はキール・デリに対して、腹を壊すから亜人種はいらない云々との旨を述べたのである。それから推測するとオラディア公が彼を私用でこき使うことにしたのも、同様の理由であろう。ザイナスについては定かではない。
 トラヴィスは彼をにらみつけたが、やがて考えを変えたようであった。
「もう片方は人間だったな。ついて来い」
 おっかなびっくり、キール・デリは立ち上がった。
「よければ置いてやる。早くしろ」
 彼は小部屋から連れ出され、さらに奥の間に連行されていった。何かもう泣きたいような気分であったが、騒ぐと殺されそうな気がしたので黙っていた。こういう目にあったのは山城の件に続き二回目である。トラヴィスは長い廊下のどん詰まりにある、広い部屋に続くドアを開けた。
「対の楽士っていうのはこいつか」
 開けられたドアの前に、ぼんやりとした顔で椅子に座っているザイナスがいた。彼のトレードマークである天使の糸巻がついた楽器を持ってはいるが、とうてい弾ける状態ではなかった。重い動作でザイナスはキール・デリのことを見て、ああ、とだけ言った。
「……ザイナスに何をした」
 なるほど、という顔でトラヴィスはキール・デリのことを見る。そして言った。
「あまりにうるさいので一服盛っただけだ。正気づいたら弾いてもらおう。それまでお前もここでおとなしくしているんだな」
 トラヴィスはそう言うとドアを閉めて自分は出て行った。もちろん外から鍵をかけてであった。

 ザイナスの首筋に傷跡はなかった。キール・デリはそれを確認すると安心したが、同時に疑問も湧き上がってきた。トラヴィスの彼に対する態度からするとザイナスが無事なのが不思議だったからである。もっとも考えても分からないことでもあったので、彼はそのことを追求するのはやめて、閉じ込められた部屋をチェックする作業に取りかかった。
 さっきの小部屋もそうだったが、この部屋にも窓や足がかりになりそうなものはなかった。部屋のつくりからいって、自分だけでなくザイナスも連れて逃げるのは少々無理そうである。しかしトラヴィスを叩きのめすのも大変なことと思われた。なにしろ吸血鬼という連中は馬鹿力なのである。彼はロニセラの山城で充分にそのことを学んだのであった。
「ちっきしょう」
 仲間内のよしみで、あっさりと自分を売り飛ばしてしまったオラディア公にも腹が立った。信用した自分がいけないのだが、とてもそんなことをするような人物には思えなかったのである。得体の知れない輩はみだりに信用してはならない。それが今回、彼がこの件で肝に銘じたことでもあった。たとえ相手がオラディア公であってでもだ。
「どうするかなあ」
 広かったが部屋の中はごちゃついている。物置部屋に近いようであった。天井からは大きなシャンデリアが下がっていたが、それも埃まみれである。よく見ると多数置かれている雑多な調度品も、すべて埃をかぶっていた。キール・デリはくもの巣と埃にまみれながら、閉じ込められた部屋の最深部にあたる部分の壁を調べてみることにした。ロニセラの城には、階段下に城外へ通じる隠し通路があったからである。同じ吸血鬼の住処ならば、そんなものがどこかにないかと思ったのであった。
 壁を探っているうちに、キール・デリは通路を塗りつぶしたらしい隙間を見つけた。かかっているドアの鍵もよく確認する。どちらを破壊するのが早いのか、彼はよく考えた。幸い頭痛はもう去っていたから、外すことなく標的を破壊することはできそうであった。亜人種としての能力をやたらと使うと死ぬと担当医のホーバーとルドワイヤン博士からは脅されていたが、このままでは今、死んでしまう。それよりも逃げ帰ってセンターで二人に怒られながら治療を受けたほうがはるかにましであった。
「壁にしよう」
 意外と大きな穴が開きそうだったので、彼は標的を壁に決めた。階段は登らなかったからここは一階である。よしんばほかの部屋に出たとしても時間稼ぎくらいはできよう。その間に外に逃げればいいのだ。 
 彼は楽器ケースを開けてヴァイオリンを取り出し、調整を始めた。その音を聞いて、ぼんやりしていたザイナスが気がついた。
「キール?」
「気づいたのか」
 ザイナスはきょろきょろとあたりを見回し、自分が持っている楽器に目を落とした。それから不思議そうな顔になった。
「なんだここは。それにどうしてお前がいる」
 キール・デリは壁に照準を合わせ、軽く弦を弾いた。
「拉致られたんだ。無事でよかったよ」
 反響で位置と奥行きを測る。意外と深い。もう一度弦を弾き、彼は標的の確認をした。
「逃げるぞ」
 ギュッ、と低い音が響いた。彼の放った衝撃波は正確に壁面をえぐり、漆喰の下にあるコンクリートを露出させた。もう一撃で壁に穴が開く。しかし楽器を構えなおした時に、めまいが彼を襲った。薬が抜け切ってないのだ。キール・デリは思わずそこにしゃがみこんでしまった。
「大丈夫か」
 ザイナスは椅子から離れて彼のほうにやってきた。こちらも足取りがふらついている。楽器だけはしっかり握っていた。
「ああ」
 また楽器を構えなおし、穴の開いた壁を狙う。その時にドアの鍵を開ける音がした。トラヴィスが戻ってきたのだ。
「まずい」
 ドアが開くのと壁を壊すのは同時だった。トラヴィスは楽器を構えているキール・デリと、そのとなりに立つザイナスを見た。ついで衝撃波で穴の開いた壁を見る。トラヴィスはほほう、と表情をゆがめた。
「なるほど、あのガキが気に入るわけだ。確かにただの楽士ではないらしいな」
 コツコツと足音を立ててトラヴィスは二人のほうに近づいてきた。
「音を聞いてから二人まとめて……と思ったが、もういい。またよさそうなのを探すとしよう」
 キール・デリはもう一つ衝撃波を放ち、天井にある大きなシャンデリアをトラヴィスとの間に落下させた。すさまじい量の埃が舞い散り、両者の視界をさえぎる。しかしもう限界だった。
「逃げろ、ザイナス」
 センターで怒られるどころではなく、これ以上撃ったら動けなかった。まだ壁は人が通れるほどの大きさにはなっていない。ザイナスは壁の壊れた部分を蹴ったが、そんな程度ではびくともしなかった。
「あがけあがけ。亜人種め、なぶり殺しだ」
 埃などものともせずにシャンデリアを乗り越え、トラヴィスはキール・デリの前に迫ってきた。ザイナスがそこにあった螺鈿細工のテーブルを起こし、バリケードにする。しかしトラヴィスは素手でそれを真っ二つに切り裂いた。
「生意気な」
 テーブルを放り投げ、二人の前に立ちはだかる。その手がキール・デリの首にかかった。 
「だましおって」
 絞め殺される、そう思った瞬間に悲鳴が上がり、トラヴィスの手が緩んだ。
「公!」
 ザイナスの声がした。うっすらとあけた目に、見たことのある金色の髪が写る。
「てめえ、俺のことを脳筋小僧って言っただろう」
 片腕を切り飛ばされたトラヴィスが床をのたうち回っていた。その手前にはオラディア公が血糊のついた剣を構えて立っており、右には剣士が、左にはケンタが一歩下がってトラヴィスを取り囲んでいた。
「悪いな。遅くなった」
 トラヴィスののどぼとけに切っ先を押し当てたオラディア公が言った。嘘つきが、と吐き捨てるように言う。
「やめてくれ、悪かった。両方とも貴公に返す。本当だ」
 しかしオラディア公は容赦しない。
「知ってっか。そういうの泥棒って言うんだぜ。しかも影で人の悪口言いやがって」
 トラヴィスはそこで気づいたようだった。ぼうっと座っているキール・デリのことを見て、くそっ、と言った。
「盗聴器か。やられた」
 キール・デリは自分の全身をよく確認して、オラディア公に渡された紋章入りのピンバッジを外してその後ろを見た。小さな機械がその紋章の後ろに挟まっていた。
「それにそいつはGPSもついてる。すぐ場所が分かってよかったよ」
「GPS?」
 トラヴィスのけげんな顔に、ケンタが手のひらサイズの液晶画面を出してきた。そこには現在地を示す赤い点が点滅して光っていた。 
「すごい正確なんだよ、これ。キールさんとこのセンターってすごいんだね」
 キール・デリは思わず画面を操作するケンタのことを見た。そんな話は聞いていなかった。
「なんて言った、ケンタ。俺、そんな話知らないぞ」
 ちらっとケンタがオラディア公を見る。オラディア公はトラヴィスの顔の近くで血のついた剣を振り回した。トラヴィスが降参したように言う。
「済まなかった。もう貴公らに歯向かいはせん。本当だ。だから許してくれ」
 トラヴィスに抵抗する気が全くないのを見て取って、オラディア公は剣士に後をまかせて自分は剣を収めた。
「今度やったらただじゃすまねえ。よく覚えておけ」
 オラディア公の怒りがおさまったのを見て、剣士は切り飛ばされた腕を拾ってトラヴィスに渡した。トラヴィスは情けない顔でその腕を受け取った。完全に彼の負けであった。もっともオラディア公が敗者に情けをかけるのは珍しいことでもある。彼の機嫌を損ねて何人切り殺されたのか、トラヴィスの知っている限りでも二桁は下らなかった。配下にオリエンタルの剣士がつくようになってからはその数は減ったが、それでも仲間内の小競り合いでは常にオラディア公が勝者であった。
「殺されないでよかったな」
 剣士が笑いを含んだ声でトラヴィスに言った。
「どういう風のふきまわしだ。ありがたくはあるが」
 オラディア公は苛烈極まりない気性でも知られている。少なくても仲間内ではそうであった。彼とやりあって生き残っているのは、この同行しているオリエンタルの剣士と、異端審問官を職としていたラリィ・ゲートだけだという噂もある。
「あいつらだ。まだ人でいたいんだよ。あんな……あれだけいびつになっちまってもな。夏も死人を出さなかったらしい。あの瞬間湯沸かし器がよく我慢したもんだ」
 剣士が二人のヴァイオリン弾きをちらっと見ながら言った。
「ま、人のことは言えないが」
 トラヴィスがぼやく。
「それにしてもまさか亜人種とは。してやられた」
 それを聞いた剣士が大笑いした。一方のオラディア公はキール・デリをつつきまわすのに余念がない。
「お前さあ、よく端末の充電忘れるだろ」
 オラディア公の言葉に、ザイナスの視線がキール・デリのほうを向く。そういえば、という顔であった。
「だからホーバーとサーパスが付けたんだよ。聞かれなかったか」
「えっ」
 そういえばそんなことを言われたような気もする。キール・デリは前回センターに行ったときに、ホーバーと話した内容を思い出した。
「位置情報を取っていいかって、そういう意味だったのか?」
 オラディア公はまったく、と言った。
「てめえは実験体だろうが。本当はセンターにいなきゃいけないのに、ふらふら出歩いてて連絡も取れねえからそういうことされんだよ」
「……なんであんたがその受信機持ってるんだ」
「サーパスに借りた」
 医療カプセルの件もそうなのだが、オラディア公は伯爵ことサーパス・リー・ルドワイヤン博士の信用がとても厚いのであった。キール・デリはそのことを思い出した。しかしその割に、ルドワイヤン博士のオラディア公に対する扱いがぞんざいであることも思い出した。
「戻ったら伯爵に文句言ってやる。なんでこんなやつに俺の個人情報を渡すんだよ」
「それで助かったんじゃねえか。場所が分かれば置いていっても大丈夫だろうが。つまんねえことでグダグダ言うな」
 それはそうなのだが、さっきのできごとはあんまりである。それを思い返し、キール・デリはむっとして言ってしまった。いまさら怒りがこみ上げてきたのである。これまでは恐ろしいこともあって何かされてもおとなしくしていたのだが、今回はとうとう堪忍袋の緒が切れたのであった。
「うるせえ。勝手に人のこと売り飛ばすんじゃねえよ。なんてことしやがるんだ」
 対するオラディア公も黙ってはいない。
「だから助けにきてやったじゃねえか。感謝しろよ」
「何が感謝だ。ふざけんな」
 驚いたのはトラヴィスである。オラディア公が亜人種ごときにこんな口のきき方を許すのも驚いたし、オラディア公の正体を知りながらひかない若者にも驚いたのであった。
「あれでいいのか。気に入ってはいるようだが、オラディア公は貴君のあるじだろう。なぜ諌めない」
 剣士は答えた。
「あれがいいんだろうよ。あんなに楽しげなヤツは久しぶりに見る」
 それに、と剣士は言った。
「ヤツは俺のあるじじゃない。彼らもまた然りだ。そういうことだ」
 トラヴィスは分かりかねる表情だった。いまだにオラディア公とキール・デリはうるせえだの殺すぞだのとやっている。とうとう見かねたザイナスが仲裁に入った。
「公もキールも、もうそのくらいで。なんとかなったんだからいいじゃないですか。キールもそろそろいいかげんにしたらどうだ」
「そもそもの原因はお前じゃないか、ザイナス」
「え?」
 キール・デリがそう言うとオラディア公も言った。
「まったくよう。なんでさらわれてんだよ。バカじゃねえの」
「本当だよ」
 剣士はおかしそうに笑っている。ケンタはさっきからGPSの液晶をいじっていた。トラヴィスは切り離された腕を抱え、立ち上がった。どこかでつけようというのであろう。
「ん? なんだ?」
 仲裁に入ったものの、一転して責めたてられていたザイナスが壊された壁のほうを向いた。カンカン、という感じの音が響いてきたのである。どうも反対側の壁を叩いているようであった。キール・デリとオラディア公も、ザイナスにつられてそっちを見た。
「誰かいるのか?」
 キール・デリが何気なく言った一言に、トラヴィスがその場を逃げようと腕を抱えて走り出した。その鼻先にケンタが投げた小石が突き刺さる。次にその足を飛んできたチェスの駒が封じた。
「トラヴィス。てめえ何かしたな」
 ドアの前まで逃げたトラヴィスのところに、オラディア公は剣をちらつかせつつやって来た。トラヴィスはケンタのほうを向いて、それからオラディア公の顔を見た。
「何も……しておらん」
 壁の音はカンカンという軽い音からべきべきという何かが砕ける音に変わった。オラディア公に捕まったトラヴィスには怯えの表情がある。さっきオラディア公達に襲撃された時よりも、もっと深刻な表情に見えた。
「そういや画家どもはどうした」
 キール・デリがあけた小さい穴からシュッと細長いものが飛び出した。いつの間にか刀を抜いた剣士がその先を払う。最初の一撃をかわされ、壁の向こうからは怒りの声が上がった。
「なんだ、あれは」
 轟音が室内に響き渡る。その小さい穴から、何か異様なものが出現した。それは真っ黒な腕でコンクリートの壁を突き崩し、破れ目からいくつもの顔がある融合した頭を突き出させた。その口には牙がある。そこにいる、キール・デリとザイナス以外の者が全員持っている牙だ。小さかったがかなり鋭利なのが見て取れた。咆哮を上げ、化け物は分厚い壁をものともせずに破って室内に侵入してきた。
「……化け物」
 壁を壊して現れた異様な生物に、ザイナスの視線は釘付けになったままだ。硬直して動けなくなったザイナスを捕らえようと、その生き物はうなり声を上げつつ両腕にあたるらしい部分を振り上げ、突進してきた。ケンタが室内にあった装飾品を片っ端から投げる。剣士はその隙にザイナスを抱えてオラディア公の元まで戻ってきた。
「共食いさせたな」
 真っ青になって言葉もないトラヴィスに、オラディア公は言った。トラヴィスは腕を抱えて床に座り込んだまま、がたがたと震えていた。
「何人だ」
 すべて分かってしまっていても、失態を口にするのははばかられる。しかし、意地を張り続けることもできなかった。
「……六人だ」
 オラディア公と剣士は顔を見合わせた。オラディア公がたずねる。
「全部画家どもだな」
「そうだ」
 剣士が言った。
「抱えすぎだ。なぜこうなる前に斬らなかった」
 トラヴィスは震えながら言った。
「二人、三人ならどうにかなるが、それ以上は自分には無理だ。貴公らとは違う。こんな状態ではとても太刀打ちできん」
「だから飼ってたのか。だいぶ古いぞ。瘴気を吸っちまってやばくなってる」
 剣士が言った。さっきキール・デリが落としたシャンデリアが邪魔になって、化け物はこちら側には来られないでいる。しかしそれも時間の問題だ。
「少し家を空けたらこうなってしまっていた。隠し通してきたがもう無理だ。貴公とその配下の武勲は聞き及んでいる。すまないが、片付けられるか」
「ちっ。虫のいい話だ」
 オラディア公はそこに固まって座っていたキール・デリとザイナスを一瞥し、ケンタを下がらせて剣士とともに最前列に並んだ。
「半人、楽器を構えろ。弱点を探れ。ザイナスはそこでトラヴィスと待機だ」
 敵の動きが変わったのを見て、異様な生き物はやたらと両腕を振り回すのをやめた。そしてその腕をまるで剣のように尖らせ、オラディア公と剣士に突っ込んできた。
「こいつ、動きをコピーするぞ」
 剣士がその腕先に斬りつけながら言った。オラディア公は敵の大振りな動きを追いながら、キール・デリをせきたてる。
「半人、弱点はまだか」
 その肩を化け物の剣先がかすった。肩に留まっていた肩章と金ボタンが飛ぶ。
「見えない。まわりに雲のようなものがあって音が響かないんだ。その雲をどけないと駄目だ」
 ケンタがどこからか見つけてきたダーツの矢を敵に連続して射込んだ。しかし全部弾かれ、最後のひとつは正確に狙いをつけて返されてきた。
「うそだあ」
 ケンタは身軽さを生かして素早く避けた。しかしこのままでは手詰まりである。ケンタはポケットを探り、あるものを見つけ出した。オラディア公の城にあった聖水の小瓶である。夏にバンパイアハンター達から分捕ったものであった。一つだけ捨て忘れてあったので、剣士と一緒に城を訪ねた時に持ってきたのである。
「ルイさん、聖水がある」
「やってみろ」
 蓋を取り、素早く化け物にかける。黒煙が上がって化け物の悲鳴が上がった。勢いよく残りもかける。化け物は後退して様子をうかがった。
「効くのか」
 キール・デリとザイナスは少々意外に思いながらその様子を見ていた。オラディア公にはこの聖水はまったく効かなかったからである。一進一退の状況の中、もしかして、とキール・デリは楽器を構えてある曲を弾き出した。
「やめてくれ」
 トラヴィスが辛そうに言った。童謡のようにシンプルだが、ひどく美しく響くメロディーだった。オラディア公と剣士には変わりがない。それを見てキール・デリは言った。
「あんたは効くのか。どう違うんだろうな」
 ザイナスがゆっくりと楽器を持って立ち上がった。キール・デリが始めたことを理解したのである。ザイナスが演奏を始めたとたんに、化け物の様子が変わった。ぎいぎい言って苦しみだしたのだ。
 オラディア公が室内を流れる音楽に気づいた。
「とんでもない楽士どもだ。俺まで巻き込みやがる」
 そしてこう言った。
「リードをザイナスに切り替えろ。半人はサブだ。しっかり支えろ。ぴったり合わせて絶対外すんじゃねえぞ」
 二人は言うとおりにする。室内の空気が変わり始めた。
「曲はそのまま、賛美歌十五番『ベツレヘムの星と三賢者』だ。しかし、俺でもビリビリする。やばいな」
「早くけりをつけろ。動けなくなるぞ」
 両サイドから剣士とオラディア公が動きの鈍った化け物の胴体をなぎ払う。トラヴィスは床に丸まって動けなくなっていた。
「死ぬ。死んでしまう。なんて楽士どもなんだ」
 そのうめき声を聞いて、オラディア公が答えた。
「どっちも当代きってのヴァイオリン弾きだ。俺だってやつらを敵になんぞしたくねえ」
「敵? 彼らは貴公の眷属ではないか。どうしてそんなことを言う」
「よく分かんねえんだよ」
 音楽によって化け物の動きもおとなしくなったが、オラディア公とケンタにもダメージがあった。剣士だけが変わらぬスピードで攻撃を仕掛ける。トラヴィスは剣を振るうオラディア公の顔に、笑いのようなものが浮かぶのを見た。 
「どういうつもりか知らねえが」
 それでも俊敏な動きで、オラディア公は化け物に斬りつける。返り血が飛び、周囲が赤く染まった。
「あいつらは俺の眷属を買って出た。手出しなぞできるか」
 さっきまで素早く跳ねていたケンタの動きが鈍る。
「そろそろ限界。ルイさん、ユキ兄ちゃん、早くして」
 そこを長く伸びてきた化け物の腕がさらった。オラディア公が援護に入る。化け物の腕を払い、ケンタをかばう。逆方向から伸びた化け物の腕が、オラディア公の硬いジャケットを切り裂いてわき腹に突き刺さった。
「ちいっ」
  その瞬間、キール・デリの探査を拒んでいた厚い雲のようなものが薄くなった。
「そこじゃない! 後ろだ!」
 キール・デリは我を忘れて最後の衝撃波を放った。化け物の巨体ではなくその後ろに、細い、やせこけた若い男の姿が現れる。雲の向こう側にいたのだ。キール・デリの放った空気の矢がその雲を散らしたのだった。
「トラヴィスさあん。助けてえ……」
 懇願する男の声に、トラヴィスは床に丸まったまま、耳をふさぎ目をそむけた。
「トラヴィスさあん……苦しいよお……」
 キール・デリは再びサブメロディを演奏しだした。切れ切れに近かったがそれでもないよりましだ。ザイナスの音はまったく変わらない。トラヴィスが横で咳き込む。化け物は苦しみあがき、正面に立つオラディア公に襲いかかった。その後ろにはケンタがいたが、こちらはもう立てない。
 影のように剣士が動いて、化け物の巨体の後ろに隠れる若い男の首をはねた。うつぶせに倒れこんだところを、背中側から左胸を刺し貫く。その刃に斬り飛ばされた生首が食いついたが、下の体もろともすぐに灰になった。同時に化け物の巨体も黒い煙を上げて四散した。
「生きてるか、ルイ」
 刀を床に突き立てたまま、剣士が言った。キール・デリとザイナスは楽器を弾く手を止めた。音楽が止まって徐々に空気が元通りになる。
「まあな」
 オラディア公が答える。金刺繍の服が破けてひどい格好であった。

 帰りの車の中は惨々たるありさまであった。なにしろオラディア公と剣士の服は破けているし、キール・デリは助手席のシートにへばってしまって動けないでいる。ザイナスはキャリーに入れられたブラッキィを眺めていたが、そのブラッキィはぐっすりと眠り込んでいた。なにしろよく眠っていたので、ずっと車の中にいたのである。キャリーのまわりは毛布で覆ってあり、中には湯たんぽ代わりの暖かい缶コーヒーが入っていた。
「追加料金だ」
 車中でオラディア公はキール・デリに、後部座席からひょいと分厚い札束を渡してきた。この札束には見覚えがあった。
「これ、あの金か」
 オラディア公がトラヴィスに彼を売り飛ばした代金であった。ふう、とオラディア公はシートに埋まる。
「あんなこと言うからだぞ」
 全身のだるさに逆らいつつ、キール・デリはその札束を受け取ってじっくりと確認し、それをポケットにしまうと言った。
「あいつ、何なんだよ」
「芸術家くずれだ。自分には才能がないからな」
 オラディア公が答える。
「それにしてもずいぶんあっさり引っかかったな。なんか口説かれてやがるし。どんだけ半人のことを気に入ったんだよ」
「気色悪いんだよ。あんなところに置いていくな」
 オラディア公は後ろでうひゃうひゃと笑っていたが、キール・デリのほうは憮然としている。だるくて動けないこともあった。ザイナスはブラッキィを置いて電話を取り出し、狭い車の中でなにやら話をしていたが、ぷつっと通話を切ると言った。
「公。この先の交差点で降ろしてもらえますか。スミスさんが来るそうなので」
「まぎらわしいことしてんじゃねえよ」
「すみません」
 ザイナスのマネージャーであるスミス氏は、数日前から休みを取っていた。なんでも休暇中は仕事関係の連絡は緊急以外はザイナスからしか受けないそうで、オラディア公の連絡先は仕事用フォルダに分類されていたのであった。
「まあいいや。殺されてるかと思ったからな」
 剣士がハンドルを切る。交差点に着く前に、キール・デリは今日、パーティ会場で言われたことを思い出した。
「ザイナス。黄金律のチューナーってどこにある」
「黄金律?」
 ああ、とキール・デリは言った。
「今日言われたんだ。リクエストされてできないのは恥だからな」
 ザイナスは少し考えて答えた。
「確か、楽団員会館の倉庫においてあるはずだ。JJに言って出してもらうといい。楽器屋にも売ってるがあんまり安いのはよくないぞ」
 剣士が面白そうにキール・デリのことを見て言った。
「真面目なんだな」
「できなかったら金取れねえじゃん」
 何がおかしかったのか、剣士はその返事に爆笑した。オラディア公が後ろから言う。
「そいつはあのラリィ・ゲートからだって金を取るだろうよ。とんでもねえ奴だ」
 目的地である交差点に着く。剣士は路肩に車を停めてザイナスのマネージャーを待った。ほどなくしてシルバーグレーの高級セダンが現れ、彼らの近くに停まる。いつも通りのスーツ姿で、マネージャーのスミス氏がその車から降りてきた。
「仕事は明日からなんですよ」
 ザイナスがぎゅう詰めの後部座席から降りる。中を見たザイナスのマネージャーはまた君らか、と言った。
「羽目を外すのは結構ですが、ザイナスさんもほどほどにしてください。それにしてもルイ君、すごい格好だな。仮装パーティにでも行ったのか」
 中を覗き込みながらマネージャーが言った。
「ああ、まあそんなとこだ」
 とりあえずそう答えたオラディア公に、マネージャーはさらに言った。
「服が破けているが喧嘩でもしてきたのか。腕っぷしには自信があるみたいだが、はしゃぎすぎて怪我をしたら元も子もなかろう。まだ分からないかも知れないが、そうなってからでは遅いぞ」
 キール・デリと剣士は、暗い中、四〇代と思われるマネージャーの顔をよくよく見てしまった。暗かったが、眉間にしわを寄せ、思い切り怒っているのがはっきり見えた。
「その服だってよく見れば手刺繍だ。けっこうな高級品だろう。金があるようだがそういうのはよくない。もっと大事に扱いなさい。それにそっちの子は未成年だろう。こんな時間まで連れまわすんじゃない。早く家に帰しなさい」
 そのままマネージャーは続けた。
「遊ぶのはかまわないし、ザイナスさんにだって息抜きが必要だ。しかしキール君といい君といい、あまりザイナスさんをもめごとに巻き込まないで欲しいんだが」
「わ、分かった。気をつける」
 オラディア公は剣士に車を出すように言った。そそくさ、といった感じであった。
「じゃ、またな」
 剣士が車を出そうとギヤを入れ替えた時である。となりでずっと話を聞いていたザイナスが急に言った。急に思い出したのである。
「そうだ。公のところにファースト・カターニャってありますか」
 そのまま車はブレーキをかけて止まった。なんだそりゃ、というオラディア公に、ザイナスは説明した。
「カターニャ社の創業者が自ら手売りしたっていうヴァイオリンなんですが……ロニセラにも行ったという話を聞いたんです」
「それ、どこで聞いたんだよ」
 たずねながらキール・デリはもしかして、と思った。ザイナスの表情が微妙に動く。
「あの、公の知り合いっぽい屋敷の人に聞いた。持ってるって話だったけど違ったな。残念だったよ」
 残念どころの騒ぎではない。ひとつ間違えれば自分が殺されたかもしれないのに、のんきなものである。
「ファースト・カターニャって数がなくて、今すごい値段がついてるんです。もし公のところにあるなら、と思ったんですが、何かそれらしいものってないですか」
 キール・デリはがっくりしてしまった。
「そんなのにひっかかるなよ。俺はひどい目にあったんだぞ」
 ああ、ごめん、とザイナスは軽く流してしまった。オラディア公が困ったように返事をする。
「そこまで言うなら探しとくが……しかし筋金入りだな。そのうち本当にそれが原因で死ぬぞ」
「あったらまた城まで行きますから」
 キール・デリはあきれてしまった。
 ザイナスをマネージャーに渡し、一同はその交差点を出た。そういえば、とキール・デリはとなりの剣士に話しかけた。
「なんで一人だけ、賛美歌が効かなかったんだ」
 運転しながら剣士はちらっとキール・デリを見た。
「文化の差だ」
 後ろからオラディア公がそう言った。
「俺はそいつに会うまでクリスマスってものを知らなかったんだよ。今は違うが、俺が育った頃は俺の国にはそんなものはどこにもなかった」
「そうなのか」
「だから、いまだにあれが何なのかよく分からない。同郷だがケンタは知ってる。きれいな、いいメロディーだったな」
 剣士の答えに、キール・デリはクリスマスもないような国とはどんなところなのか、見当がつきかねた。しかし彼が使いこなす細身でひどく鋭利な曲刀を思い返し、やはりこことはまったく違う時代、場所なのだと思い直したのだった。
「半人、家でいいのか」
 オラディア公が聞いてきた。
「センターに送ってやってもいいぞ」
「一度帰る。ブラッキィがへばっちまう」
 それを聞いて剣士は赤信号でウインカーを出した。夜更けではあったがちらほらとまだ人通りがある。その人波をながめているうちに眠くなってきた。うとうとしながら、キール・デリはヴァイオリンを抱えて吸血鬼たちと一緒に車に揺られていった。

  

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