最終章 〜葬儀場から

 

 最後に入ってきたのはリンデン氏だった。みな黒い礼装に身を包み、重苦しいがすべてが終わって緊張が緩んだ中で彼を迎えた。
「こうして見るといや、本当に久しぶりですな」
 なんとなく一同は彼に笑顔を向けた。この湿った空気をかきまわすリンデン氏の存在は、なんだかんだ言ってもありがたかったのである。葬儀が終わってのちの去りがたい気分のまま、彼らは誰も帰宅せずにすぐ近くにある小さなバーに落ち着いたのだった。
「公はどうされたかね」
 リンデン氏がきょろきょろと薄暗い店内を見回す。オラディア公の付き添いで来た長身の剣士が、カウンター席から店内奥のひときわ薄暗い席を親指で示した。ほかに客はいず、バーのマスターは彼らが自由に店を使うことを黙認していた。
「ガキみたいに泣いてる。放っておけ」
 剣士のとなりにはザイナスの姿がある。こちらも黒い礼装で、その手にはブランデーの入ったグラスがあった。同じようにカウンター席にいるが、中途半端によりかかっている。
「こちらの彼は?」
 リンデン氏が言うとザイナスが答えた。
「公のご友人の方です。昔からのお付き合いだそうですよ」
 目をぱちくりさせて、リンデン氏は剣士のことを見た。
「ということはつまり……」
「そうです」
 剣士はカウンターから降りてきて、右手を差し出した。
「ヤタ、だ。あいつが心配なんでついてきた。適当に連れて帰るよ」
「いや、いいんだがね」
 リンデン氏はヤタ、と名乗った長身の剣士をしげしげと見た。
「オリエンタルかね。また珍しい。出身はどちらかな」
「東の小国だ。海の向こうの島国だよ」
「これはまたずいぶんと遠くから来たものだな。公には不思議な友達がいるものだ」
 剣士は笑ってまたカウンター席に戻った。なんということもなく、ザイナスと話を続ける。
「公でも泣くんですね」
「俺も驚いたよ」
 リンデン氏は店内を横切って、そのカウンター席正面のテーブルに座った。その斜め向かいにはホーバーがいる。となりのテーブルにジェナスもいて、少し後ろにはカラットの姿も見えた。耳が見えないように大き目の黒い帽子をかぶっている。手足もすっかり黒い礼装で覆っていた。
「センターを空にしていいのかね」
 いいんです、とホーバーが答えた。もうだいぶ酔っていた。彼は葬儀が終わってからずっと、切れ目なく酒をあおり続けていた。
「ディックがいますから。それに今日ぐらいはいいでしょう。伯爵の葬式なんですよ」
 キール・デリが奥からホーバーのいるすぐ近くの席に移動してきた。オラディア公にリンデン氏の到着を伝えにいったのである。
「ホーバー、飲みすぎだぞ。帰れるのか」
「いいんです」
 あれからもう七年も経っていた。キール・デリの定期検査は年二回から一回になり、センターには今年もう一人新人が入ってきて、ホーバーは部下を抱える立場になった。と同時に伯爵ことサーパス・リー・ルドワイヤン博士は勤務をやめ、ほぼ自宅に引っ込んで過ごすようになった。それが半年前のことであり、体調を崩したルドワイヤン博士をセンターに緊急入院させたのが一ヶ月前であった。予想通りといえば予想通り、急といえば急な死であり、一同はホーバーからその一報をもらったときに、ある程度の心の準備がありながら慌てふためいたのである。
「全然、変わってなかったな」
 キール・デリが言った。遺影に使われたのは十年も前の写真であった。それでも年はおろか表情も雰囲気もまったく変わらず、昨日撮ったと言われても信じてしまいそうであった。
「死因は何なのかね」
 リンデン氏が言った。
「直接は多臓器不全ですが……もういいと思ったんでしょうね。食事も摂らなくなって……あっという間でしたよ」
 ホーバーはもう一杯酒をあおった。無力感が全身からにじみ出ていた。
「少しだけ、組織片を残しました」
 赤い顔で彼はリンデン氏を見ながら言った。
「ジェナスのこともありますし、まったく何もなしというわけにもいきませんのでね」
 リンデン氏が難しい顔になる。しかし彼の心情を思えばそれを非難することもできない。それを受けてホーバーは言った。
「本当はすべて標本にしておかなければいけないんです」
 ホーバーは言った。
「唯一の不老体ですし、公式には最後のフリークスでしたから。ですが……」
 周囲の注視を浴びながらホーバーは言った。
「最後ぐらい、ゆっくり眠らせてあげてもいいんじゃないでしょうか。彼は確かにフリークスという人工種ですが……死んでからもいじりまわすのは、さすがにあんまりだと思いませんか」
 確かにそうだ。不老体は既に存在しないし、フリークスも作成は禁じられている。だからいいのだ。情報を欲しがる者はいるだろうが、ドクター・サイモンもルドワイヤン博士もいない以上、作成上の詳細な部分は永遠に謎のままである。ルドワイヤン博士が所持していた大量のノートはホーバーが外部に出さないであろう。再現のきかない高度な技術の徒花、ホーバーは彼のことをそうしてしまいたいのだ。
「じゃ、本当は葬儀はなかったのかね」
 リンデン氏はもらったグラスを眺めながらしみじみと言った。
「私のわがままです」
 ホーバーは答えた。
「もう不老体はつくりませんから。不老体についての情報など必要ない、そう伯爵も言ってました」
 いつもと違う黒い服を身にまといながら、ホーバーは痛飲する。
「それに3Dスキャンがいっぱいありますから、標本なんかいらないんです。臓器も、脳も……十代にやった最終処理の手術跡だって残ってます。もういいんです」
 ふらりとオラディア公がその場にやってきた。カウンターの奥に向かって「ビール」と言う。そのままホーバーの横に座った。
「半人、何かやってくれよ。何でもいい」
 だいぶ酒臭かった。一同はバーのマスターが、ずいぶんな数のジョッキを彼に運んでいたのを見ている。樽でよこされても酔わないようなオラディア公が、今日はもうふらついていた。ザイナスもキール・デリも、そんな状態の彼を見るのは初めてだった。
「どうしたんだよ、大丈夫か」
 心配して声をかけたキール・デリに、オラディア公はこう返す。
「やかましい。早くしねえとぶった切るぞ」
 キール・デリはため息をつくと、カウンター奥のマスターに楽器を持って話をしにいった。ほどなくしてマスターが店内に流れていたラジオを止め、それからドアのところにかかっていた店外のプレートを「営業中」から「本日貸切」に変更した。キール・デリは場所を探して店内を見渡したが、十人も入ればいっぱいの小さな店であったから、やむなくカウンターの高い椅子に腰掛けて楽器を構えた。そのとなりでザイナスがこれまた自分の楽器ケースを開けて、天使の彫刻がついたヴァイオリンを取り出し、調整を始めた。
「もう一杯くれ」
 音楽を聞きながら、オラディア公が言う。マスターが次のジョッキを用意しながら言った。
「そろそろやめておいたほうがいいですよ、お客さん」
「平気だ」
 その答えに、ザイナスと剣士は並んで少し困った表情になる。
「ああ言ってますけど」
 ザイナスがそう言うと剣士が答えた。
「俺が連れて帰る。ここに置いていってもしかたないだろう」
 曲が終わった。キール・デリはカウンターからおどけてこう言った。
「公、次の曲は何になさいますか」
 オラディア公は驚いた顔になり、テーブルからカウンター席のキール・デリを見上げた。キール・デリのその言葉に、まったく違和感がなかったからであった。
「それとも楽士をお替えになりますか。こちらも準備が整っております」
 同じようにザイナスが言った。その調子にまわりからくすくす笑いがもれた。オラディア公は空になったジョッキを見てふっと笑い、それからこう言った。
「キール、お前やれ。ザイナスは明日忙しいんだろう」
 大丈夫ですよ、とザイナスが言った。
「休暇を取りましたから。この時期は少し余裕があるんです」
 そうか、とオラディア公は答えた。
「疲れるだろうから途中で代われ。曲はまかせる」
「かしこまりました」
 大げさな身振りで一礼をして、キール・デリはまた楽器を弾き出した。空いてしまったジョッキが下げられ、次の酒が置かれる。オラディア公はそれを一口含むと、まじまじとグラスを見た。
「ラムジンジャーか。こういうの、久しぶりだな」
 ホーバーが答える。
「伯爵が好きだったんです」
 そして指で三センチほどの幅を示した。
「あの人のことだからこんな少しですけど。研究室にビンが置いてあって、夜中にそれをきゅっとやるんですよ。10MLのビーカーでね。それがそのまま朝置いてあって、よく私が洗ってましたよ」
 ふうん、とオラディア公はまたグラスを見て、それから中身を飲み込んだ。ザイナスが演奏をキール・デリと替わる。彼の前に酒のグラスが来たからだった。
「そういやウサギはどうした」
 思い出したかのようにオラディア公はキール・デリに言った。ああ、とほかの者達も、いつも彼のそばにいた黒い小柄なウサギを思い出した。
「もういない。とっくだよ」
 彼はそう答え、自分の楽器の弦をはじいた。
「オーケストラの連中が次は飼わないのかって言うけど、もういいんだ。ああいうのは……もういい。#11もいなくなった。つらいばっかりだ」
 カウンターでグラスを空けるキール・デリを、オラディア公はテーブル席から見上げる。
「そうか。全然身寄りがないんだったな」
「出身は研究室の冷凍庫だ」
 キール・デリは笑う。となりではザイナスが邪魔にならないように、低い音で音楽を奏でている。そのとなりには黒服を着たオリエンタルの剣士だ。オラディア公はまたキール・デリに視線を戻した。
「お前、いくつだっけ」
「来年三十だよ」
 ほう、とリンデン氏が言った。
「もうそんなになるのかね。全然会ってなかったし、まるっきり気がつかなかったよ」
 キール・デリは楽器の弦をザイナスの音楽に合わせてぽーん、ぽーん、と鳴らしながら話をする。
「そうだよ。来年からコンマスをやってくれって言われた。常駐になったのだってここ数年なのに、そんなの無茶だ」
 ホーバーが酔った顔で言った。
「コンマスって、シャトーブリューンのコンサートマスターですか?」
 そう、とキール・デリは答える。
「後進を育てたいんだってさ。なに考えてんだよと思った。俺、亜人種だよ」
 キール・デリのいいたいことは皆、よく分かった。
「みんな俺の話なんか聞かねえよ。それにまだ早いって言ったんだけど、JJがどうしてもって言うし、JJは引退はしないから、それならどうにかなるかと思って引き受けた」
「半人のくせにすげえじゃん」
 オラディア公がぼそっと言う。本当だよ、とキール・デリはあきれたように返した。そのあと返事がなかったのでどうしたかと思い、そっちを振り向くとオラディア公はテーブルに突っ伏して寝ていた。ザイナスが気づいて演奏をやめたが、オラディア公は起きなかった。
「伯爵が寝付けない時によく飲んでたんですよ。気分が落ち着くって。泊り込みで実験が続くと、神経が昂ぶって眠れなくなるんです。仮眠室から戻ってきて、こう、一口だけ飲んでね。それで、ぼーっとしてくるとおもむろに仮眠室に帰るんです。結構きつかったんでしょうね」
 ホーバーが空になったグラスを振りながら言った。からからと氷が鳴る。
「どうかと思いましたけど……本物にもよく効きましたね」
 カウンター席の椅子から剣士がやってきた。まったく、とオラディア公のそばに座る。
「いつまでもガキのまんまだ。何百年たっても変わりゃしねえ」
 そして店のマスターにタクシーを呼ぶように頼んだ。マスターが電話をする。
「いつからの付き合いなんです」
 ザイナスがたずねる。さあ、と彼は言った。
「二、三百年は経ってるんじゃないか。あんまりガキなんで途中で見捨ててもよかったんだが……あの先生みたいに賢くはなれなかったよ。あの金目銀目のな」
「何かあったのかね」
 リンデン氏が言った。
「あの先生、まともに育ってないし、体が弱かったんだってな。寝込んでばかりだって」
 一同はうなずいた。それは周知の事実であった。
「それでこいつがさ、一緒に連れて行こうって言うんだよ」
 剣士がオラディア公から顔を上げて一同を見た。
「一緒に……って、もしかして……」
「そうだ」
 ジェナスが言った続きを剣士は肯定する。
「実験室とセンターの中しか知らないんじゃあんまりだと。なんならあの城をやるとまで言ったらしい。あそこは誰も来ないからな。城主が代わったって誰も気づかない」
 え、とザイナスが言った。
「公はどうするつもりだったんです。住むところがなかったら困るでしょう」
「下に降りて、時々様子を見にいくつもりだったんだろう。あの町は田舎だが、少しいけば大都会だ。暮らすのに困りゃしない」
 剣士は話を続けた。
「何か細かい話を聞いたらしいんだが、先生、八才くらいまで自分をつくったやつと、自分以外の人間がいるのを知らなかったらしい。あんなに頭がよかったのに、毎日実験室の天井とゲームの画面ばかり見てたって」
 それはキール・デリも聞いたことのある話であった。ルドワイヤン博士はある時、その画面の向こうに人がいることに気づいたのである。
「今でも先生は体が悪くてセンターからろくに出られない。で、こいつはセンターからあの先生を連れ出したくてしょうがなかった。体だけでもまともに動くようにしたかったんだろう。だがな、代償は大きいんだ。ちょっとやそっとで払いきれるものじゃない。そして払うのは先生だ。こいつじゃない」
 剣士はテーブルで眠っているオラディア公に再び目をやった。
「……そうだったんですか。ちょくちょく来るとは思ってましたが」
「何度か話をしたらしい。そのたびに断られて、しょんぼりして戻ってきたよ」
 ホーバーも、そこにいる皆も初めて聞く話であった。衝撃を受けて黙ってしまった皆に、剣士は淡々と続けた。
「俺はやめておけって言った。先生も断った。でもそれでよかった。あと何百年もこんな奴と付き合うなんて無謀もいいところだ」
 マスターが車の到着を知らせにきた。剣士は荷物のようにオラディア公をひょいと持ち上げ、小脇に抱えた。
「じゃあな。あんたらにはずいぶんよくしてもらった。礼を言うよ」
 バーのドアを開け、彼は停まっているタクシーに乱暴にオラディア公を放り込んだ。それから自分もそのとなりに乗り込み、運転手に行先を告げた。
「おい、待てよ」
 キール・デリはあわててその後を追った。ザイナスもついてくる。タクシーが出る前に、彼はガラスをたたいて剣士に窓を開けさせた。
「あの城に戻るんだろ?」
 いや、と剣士は答える。
「ちょっとショックがでかすぎたみたいだ。しばらくそこらをぶらついてくるよ。何十年かしたら戻ってくる」
「何十年って……なんだよ、それ。お前らもいっちゃうのかよ」
「もうしばらく戻ってこない。たぶん、な」
 言葉もないキール・デリに代わってザイナスが言った。
「俺たちが死ぬ前には戻ってきてくださいよ。いいですか、絶対ですよ」
 剣士が驚いたような表情になり、それからとなりのオラディア公を見やった。
「なるほどね。こいつが気に入るわけだ」
 もういくぞ、と剣士は眠っているオラディア公を揺すり、声をかけた。が、返事はなかった。
「そう伝えておくよ」
 そしてタクシーは夜の町へ滑り出していった。

 キール・デリの冒険の日々はここで終わりを告げる。彼はシャトーブリューン・フィル・ハーモニーのコンサートマスターとなり、後年は若手の育成とオーケストラの発展に尽力した。彼の華やかだがくせのある演奏法は後にシャトーブリューンの後輩達が真似するところとなったが、誰も彼のように見事には弾けなかったという。また時折酔っ払って楽器を弾き、フェヌグリークの街中で酒場の看板を次々と地面に落としてしまったとも伝えられる。
 ザイナスは家督を継ぎ、結婚して一男一女をもうけた。彼はある時持っているコレクションの半分を売り払い、あのロニセラの荒れ果てた古城を購入する。「公が帰って来た時になくなっていると困るから」というのがその理由であった。ルイ・L・オラディアと名乗る金髪の若者が来たら、そっくりその城を譲るようにとその遺言状には記されており、実際にザイナスの死後、生前彼が言っていた通りの姿をした若者がやってきたと言う。ザイナスの息子であるカルバンは遺言状のとおりにした。あまりにも父親の話と同じだからであった。
 ホーバー・クラインはサイモン財団遺伝子研究保存センターの事実上の所長となり、ジェナスとともに亜人種の地位向上につとめることとなる。それにはキール・デリの活躍と、サラティア社に勤めるクリストファー・リンデンバウム氏の助力も一役買った。定年後、リンデン氏は顧問としてサラティア社に残るように社長から勧められるが、「いつまでも仕事なんてつまらんよ」と言い、早々に引退して悠々自適の生活を送った。晩年は著述業にいそしみ、「人工種の歴史と変遷」ほか数冊の著作を残している。
 ジェナスはパフィ・キャットのカラットと一緒になり、センターで一生を過ごした。アルピニアの祭りでキール・デリと知り合ったリックラック・カットトラックは、大学を卒業後、商社に就職するが趣味としてギターを続ける。年に一回、キール・デリとザイナス、それにリックラックの三人は毎年アルピニアの広場に集まり、祭りに参加した。それはキール・デリが激務で体調を崩し、センターに入院する四十二歳のときまで続く。それ以降はゆるゆると、集まれるときに集まるというスタイルに変わっていった。
 キール・デリの没後しばらくして、彼の墓前に一本のヴァイオリンを供えていった者があった。名工、瑚訴洲の手によるものであり、長い間どこかにしまわれていた最後の一品であった。行き会った者によれば黒くて長いコートにフードをかぶり、顔はよく見えなかったと言う。それでもこう言ったのが聞こえたそうだ。
「じいさんから予備に預かってた分だ。すぐ壊すからってよ」
 そしてどこかへ去っていった。楽器に気づいた墓守が後を追ったが、見かけたのはついさっきだというのに杳としてその行方は知れず、その楽器はシャトーブリューンの倉庫に保管されることとなった。
 今もその楽器はある。キール・デリに匹敵する弾き手が現れる時のために、シャトーブリューン・フィル・ハーモニーが大事に倉庫の奥にしまっている。

  

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