菩提樹の話

 センターに着いたら着いたで、そこでも問題は山積みだった。ジェナスが頑張っていたとはいえ、二ヶ月職場を放置したあとの片付けはなかなかに大変である。救いはリンダとロッキーが意外と役に立つことであった。
 ホーバーは悩んだが、キール・デリを奥の検査入院室ではなく手前のゲストルームに入れた。楽器を持ってセンター内をうろうろするのが目に見えていたからである。それなら各種設備が整っている居住エリアにいたほうがよい。
「キールさん、お客さんだよ」
 センターに移って二十日ばかりたった頃、カラットが外からリンデン氏を案内してやってきた。キール・デリはその時、講堂の椅子に座ってヴァイオリンの練習をしていた。
「リンデンさん? 連絡くれれば迎えに行ったのに。ここ危ないからさ」
 いやいや、とリンデン氏は言った。
「怪我人を歩かせるわけにはいかんよ。それにすぐこのお嬢さんが見つけてくれてな。なんということもなく着いたよ」
 じゃあね、と言ってカラットは耳をぱたぱたさせつつ立ち去っていった。その後ろ姿を見ながら、リンデン氏は言った。
「しかし初めて来たが……なんだね、すごいところだな。あのお嬢さんはどこの製品だね」
 言いながらキール・デリの向かいに椅子を見つけて座る。
「自然発生だってさ。自分で言ってた。何人かいるらしい」
 リンデン氏は驚いた顔になった。
「本当かね。あれは売れるぞ。コンタニあたりが見つけたら間違いなく狩りに来る」
 リンダがコーヒーをふたつ持ってきた。キール・デリはそれを受け取って、リンデン氏と自分の前に置いた。くるくると動いてリンダが帰っていく。
「だからジェナスがファンタジアから出さないんだ。特に彼女はセンター籍にしてる。もともとはストリート上がりだよ」
「ジェナスと言うと、ここの代表の彼だな」
「今来るよ」 
 言ったとおりに講堂のドアを開けて少年が一人入ってきた。入口に立ち止まってキール・デリとリンデン氏を探している。
「ジェナス、もう終わりにするからドアを全開にしてもいいぞ」
「あ、そうですか」
 ジェナスは二人を見つけ、ドアを開放してこちらにやってきた。またもやリンデン氏が驚いた顔をする。
「サラティア社のクリストファー・リンデンバウムと申しますが……いや、しかし、お若いですな」
「サイモン遺伝子研究保存センター代表のジェナスです。他にいないんで僕がやってますけど。よろしくお願いします」
 リンデン氏とジェナスは握手をし、それから本題に入った。
「えっと、キールさん、というかウォールナッツ・ブレインの#5と、送っていただいたデータとの差異をグラフィックで確認するということでしたよね」
「ええ。郵送で、ということでお願いしましたが、キール君がこちらに来たので、ついでに見せていただこうと思いましてな」
 リンデン氏はうなずく。
「ホーバーさんがいなかったんで僕がやりましたが、ごらんになりますか。一応チェックはしてもらいました」
「じゃ、見せてもらおうかね」
 ガタガタと二人は立ち上がった。キール・デリも松葉杖で、遅れてその後をついていく。楽器はリンダを呼んで部屋に持って帰ってもらった。
「ホーバーさん、リンデンバウムさんです」
 ジェナスが研究室の入口で声をかけた。どうも、とホーバーが椅子から立ち上がって挨拶をする。中にはホーバーしかいなかった。
「おや、伯爵殿はどうされたのかね」
「休日です。非常勤なんですよ」
 あらためてホーバーはリンデン氏に中に入るように言った。
「久しぶりですね。お一人で大丈夫でしたか」
「ああ。とんがった耳のついたお嬢さんが案内してくれてな。なにごともなかったよ」
 言いながら中に入る。びっくりしたでしょう、とホーバーが言った。
「いろいろと驚いたよ。一番驚いたのはジェナス君だったがね」
 キール・デリが追いついてくる。彼は余っている椅子に適当に座った。
「若いし優秀だ。うちの若い子でこのグラフィックソフトを扱えるのはおらんよ」
「そんなに難しくもないと思いますが」
 ホーバーは言いながらキーボードを操作し、画像を呼び出した。
「ただ、あまり常識にとらわれてしまうと難しいかもしれませんね。特に今回のような場合は、何が出てくるのか予想もつきませんから」
 リンダがやってきてジェナスを呼んだ。何か用事ができたらしい。彼は二人に声をかけて部屋を出て行った。
 リンデン氏は小声で聞いた。
「彼の亜人種付帯コードを見たが、まったくのサーパス・コピーなのかね」
「私もよく知らないのですが、少し違うようですね。素材に使った欠損遺伝子に、伯爵の分を切り張りしたようですよ。私はドクター・ミルズの抜けた分の募集で来たので、あんまり詳しいことを知らないんですよ」
 ホーバーはぼそぼそとしゃべりながら、画面上に表示された二枚の画像をそれぞれ並べて見せる。ふたつともほぼ同じような形だった。
「たいして変わらないな」
 画面を見てキール・デリが言った。ホーバーが言う。
「ほとんど同じですね。キールさん、#11と比べてはどうですか」
 そこへジェナスが戻ってきた。キール・デリはじっと画面をのぞきこみ、うーん、と言って答えた。
「俺のとは少し違うけど、リンデンさんが持ってきたのとはほとんど変わらないな。目が違うくらいか」
「あれは雌性体だからな。目はかわいらしくできておる。そうだ、キールくん、同族のよしみで嫁さんにしないかね。君になついているようだし」
 その場の全員の視線が彼に集まった。
「リンデンさん、それはさすがに無理だよ」
 ホーバーとジェナスも同意した。しかしリンデン氏の答えは違っていた。
「あながちそうでもなくてな。#11はあと一年ちょっとで御役御免だ。その後はどうなる」
 あっ、とキール・デリは言った。そうだ、とリンデン氏は続ける。
「処理槽へ生きたまま廃棄だ。だが、引き取り手がいれば廃棄は免れる。後はもっても一年だ。どうだろう、キールくん、彼女を引き取ってくれんかね」
 少し間があった。キール・デリは考えながら答えた。
「そりゃ、俺でよければ引き取るけど……リンデンさん、俺、亜人種だよ。無理なんじゃないのか」
 リンデン氏は言った。
「キールくん、君、戸籍を持っとるだろう。学校へ行っとったのだからあるはずだ」
「戸籍?」
 ホーバーとジェナスがびっくりする。リンデン氏はうなずいて言った。
「実子か養子か分からんが、キール君はエンライの息子になっておる。プレートがあっても人間なのだよ」
「そうでしたか」
 感心したようにホーバーが言った。
「それなら問題はないですね。けれど映像で見ただけですが、#11ってかなり大きいですよね。それにキールさん、失礼ですが今、自宅ってありますか?」
「そうだ、リンデンさん。置くところがないよ。カプシカムのアパートも誰もいないから引き上げて来ちまった」
 ううむ、とリンデン氏は考え込んでしまった。キール・デリに自宅がないというのは予想外だったのである。少し考えれば分かりそうなことでもあるのだが、まさか本当に身一つで漂泊して歩いているとは、思ってもみなかったのだった。
「ではどうするかね」
「どうするって……でも放っておいたら廃棄だろ」
「そうだが」
 頭を悩ます二人に、助け舟を出したのはホーバーであった。
「じゃあこうしましょう。ジェナスもちょっと聞いてください」
 何事かと一同が集まる。ホーバーは話し始めた。
「#11とキールさんはセンターの所属にします。正確には私が引き取ります」
「え、どういうこと?」
 キール・デリはそう言ったが、リンデン氏はなるほど、と言った。
「ホーバー君の所有で登録すると、そういうことだな」
「そうです。それから雌雄対の研究用資材としてセンターの所属にします。これならどこからも文句は出ませんし、キールさんの治療費もなんとかなります。研究費で#11のための施設も用意できますよ。いくつかの条件としてキールさんと#11の定期的な検査と、ジェナスに少し書類を書いてもらわないといけませんが。どうですか」
「少しって、どれくらいです」
 仕事量を思ったジェナスが悲鳴を上げた。
「いや、やりますけど……ホーバーさん、僕どれだけ提出書類作ったらいいんですか。半端な量じゃないですよね」
「最低でも二、三十枚は必要でしょうね」
 あっさりとホーバーは言った。リンデン氏は納得した表情だったが、キール・デリはキツネにつままれたような顔をしていた。
「なんで? 俺の治療費ってただじゃなかったっけ?」
「もうただじゃありません」
 ホーバーが答えた。
「キールさん、示談金をもらったでしょう。あれで支払い能力があると認められてしまうんですよ」
「えっ」
 キール・デリは青くなった。前回、解析だけでけっこうな金額になったことを思い出したからである。
「いくらかかったんだ」
「示談金のほぼ全額です」
 これにはリンデン氏もびっくりした顔になった。そんな二人にホーバーは説明する。
「とにかく薬が高かったんですよ。毎日のように解析データも取りましたし、私と伯爵の出張料も支払いに乗るんです。センターとの通信費だってばかになりませんから。伯爵の治療費が乗ってないだけまだましですけどね」
「そういやよく寝込んどったと聞いたな」
 ふう、とホーバーはため息をついた。
「あの人をここから出すのに、私の所有にしたんですよ。帰ってきてから解除しましたが、その間の治療費は一回全部私が払うんです。戻ってくるからと言ったって、いったいいくら払えばいいのか恐ろしいですよ」
 気を取り直し、ホーバーはキール・デリに言った。
「同じことで、キールさんの示談金も法律上、一回私のものになります。つまりは支払い能力がないということになるわけです。そのままセンターに登録すれば、支払いはセンターが持つことになります。そして支払いが済んだら、私の所有である部分を外します。そうすると示談金はそっくりそのまま、キールさんのもとに残るわけです」
 へええ、とキール・デリは思わず言ってしまった。
「ホーバーってすごいな。よくそんなこと考えつくよ」
「ここにいると、こんなことばっかり考えるようになるんですよ。お役所ですからね」
 さて、とホーバーは話を#11との比較に戻した。
「ところでリンデンさん、#11が雌性体なのはなぜなんですか」
 リンデン氏が答える。
「エンライが会社に提出した異種化RNA設計仕様書の通りでは、長寿命にならんのだ。そこで性別を変えてみたらしい。それでも五年しか持たん。いろいろいじってみたようだが、原形をつくった人間がおらんのでそれ以上にはならなかったようだ」
 ふう、とホーバーはため息をついた。事務用の椅子に座っているキール・デリのことを見ながら言う。
「あの形に無理があるんじゃないでしょうかね。そもそもは人間なんですよ」
「それはみんな思っておるよ」
 言いながらリンデン氏は懐からチップケースを取り出した。中を開けると緩衝材の中に一枚だけチップがしまわれていた。
「これもお願いできるかね」
 見せられたチップをホーバーは不思議そうにながめた。
「なんです、これは」
「ブラッキィ君から出てきたデータから探し出したものだ。まさかそんなところにあるとは思わなかったよ。菩提樹は本当に何も知らなかったのだな」
 キール・デリは思わずリンデン氏の顔を見た。なんとも浮かない表情だった。

 これはブラッキィを受け取った後のリンデン氏の話である。リンデン氏はキール・デリからブラッキィを受け取ると、そのまま手はずを整えてあった動物病院に持ち込んだ。病院ではブラッキィに手術をし、データ解析用のサンプルを取り出した後に、替えのチップを入れた。チップは洗浄、消毒されて数日後にリンデン氏に渡された。
 リンデン氏はチップをつてのあるところに持って行った。親生体素子の読み出しは、リンデン氏の持っていたコンピュータではできなかったからである。頼んだのは専門の仕事をしている業者だったが、そこでは別のチップにデータをコピーし、ブラッキィに入っていたチップそのものは何もせずに返してきた。そうリンデン氏が依頼したからでもあった。
 中身を確認したリンデン氏は一枚は動物病院に返し、一枚は預かった。動物病院では戻ってきた一枚と、迷子札用のチップをまた元通りにブラッキィに埋め込み、それから二日後にリンデン氏に引き取るように連絡してきた。リンデン氏はキール・デリのところにまたブラッキィを返しにいった。
「一枚は通常のもの、つまりブラッキィ君の記憶と行動の強化と補助に使われておる。まずそこから問題だったのだよ」
 ブラッキィに入っていたチップは使いまわしであった。それは驚くにはあたらない。実験動物よりもチップのほうがはるかに高額である。なので現場では実験が終わった動物からチップを取り出し、消毒してデータを消去したのちにまた埋め込むのが常であった。
「しかしブラッキィ君の分は消去されてなかった。何かの手違いだとは思うがね。しかもかなり古いものだったのだよ」
 回収し、データを消されたチップは無造作に処理済の箱に投げ込まれ、研究者たちはそこから適当に取り出して使っていた。だからそのチップも、特に選ばれてブラッキィに埋め込まれたわけではなかった。本当に偶然だったのである。
「ブラッキィ君はそのために、自分が生まれる前の記憶を持つことになった。そして以前に行われた実験から、キール君やウォールナッツ・ブレインのことを知っておった」
 話が長くなりそうだったので、彼らは場所を研究室からカフェテリアに移していた。ルドワイヤン博士もジェナスに呼ばれてカフェテリアに姿を現した。
「お休みのところをすみませんな」
「いいんですよ」
 当のブラッキィもキール・デリの近くを跳ね回っている。ブラッキィが腹が減ったというので、キール・デリはそこにあったタブレットでレタスの皿盛りを頼んだ。全員の注文品と一緒にブラッキィのレタスも運ばれてくる。ルドワイヤン博士のもとにはストローと一緒に真っ赤な飲料が運ばれてきた。
「ジェナス、ケイシーに色をつけないように言ってください。趣味の悪い」
「何度も言ってます。言ってもやめないんですよ」
 困ったようにジェナスが言った。新しい料理長の悪ふざけは彼にも悩みの種であった。
「まったくもう、公じゃあるまいし。今度こそきちんと言っておいて下さい」
 その名前を聞いたとたん、キール・デリとホーバーはげんなりしてしまった。役には立ったが、彼はけっこう病院内で騒ぎを起こして歩いていた。ややあってリンデン氏が言った。
「そういえば彼は元気なのかね。城に戻ったと聞いたが」 
「時々連絡が来ますよ。私が生きているかどうか気になるみたいですね」
 あの時死にに来ただろう、オラディア公は別れ際、そうルドワイヤン博士に言った。返事こそしなかったが、実はまったくもってその通りであった。
「公にはずいぶん心配されていたようです。病院にいる間中不調でしたから。山登りがたたりましたね」
 それも実は分かっていたことであった。ホーバーはこのセンターを任せておける人間だったし、ジェナスももう問題はないと踏んでいた。古い、彼を蔑視するような者もいない。いなくなっても大丈夫だとルドワイヤン博士は思ったのである。その矢先のキール・デリの出来事であった。
「ホーバーさんにもご迷惑をおかけしました」
 見抜かれていた、とルドワイヤン博士は思う。それに、ホーバーの知識量も経験もまだ全然足りなかった。実地での経験はそう簡単には手に入らない。もしもの場合の被検体も必要だろう。そういう意味でも、彼にキール・デリの担当医およびこのセンターの研究者としての技量が身につくまで、自分は死んではならないのだとルドワイヤン博士は思い直したのである。
「そうそう。ジェナス、今度こそちゃんと言っておくようにお願いしますよ」
 文句を言ったものの、ルドワイヤン博士は結局交換せずに口をつけた。どう見てもB級ホラー映画の一場面にしか見えない。キール・デリは目をそらした。ケンタに追いかけられたことを思い出したのである。
「どうしました、キールさん」
「いや、なんでもない。リンデンさん、続けてよ」
 そうだった、とリンデン氏はコーヒーを一口すすって話を続けた。
「チップの話だったな」
 キール・デリとホーバーがうなずく。
「そんな古いチップがよく残っていたと思うが、ずっとシステムの入れ替えがなかったのでそのまま使っておったようだ。あまり金をかけない部署でもあるのでな」
 なるほど、と今度はルドワイヤン博士がうなずいた。
「さて、ここからだが」
 リンデン氏は一同を見回して言った。
「エンライの謎かけを解くのは大変だった。キール君、心して聞きたまえ」
 名探偵ばりにリンデン氏はこう宣言した。キール・デリばかりでなく、そこに居合わせた全員が彼の話に聞き入った。
 
 もう一枚のチップは、やはりスピリットを動かすためのシステムとしては使われていなかった。しかし記憶補助として接続されていた。しかも後付けとして埋め込まれていたのである。
「ナンバリングが振ってあった。最初から入っていた、古いチップが2−1、後付けされたものが2−2だ」
 リンデン氏は関係部署に問い合わせた。なんとエンライ・コーダの指示であった。
「エンライが仕組んでおったのだよ。このシステムの入った古いチップ、2−1がつけられた対象に2−2を埋め込めと指示書が出ておった。もういない人間の指示書だが、現場では画面で指示を確認する。日時や名前などは二の次だ。おそらくエンライはそれを知っておったのだろう」
 リンデン氏は二枚目、つまり2−2と記載されたチップの中身を確認した。そこにはブラッキィが語った内容の前半と、菩提樹の元に#5を探せという内容が書き込まれていた。そのほかにはいくつかのカラーサンプルが入っていたが、まったく用をなしていなかった。
「ここはエンライの賭けだ。もっとも見つけられることを予想していなかったかもしれん。私にはそう思えるがね」
 特に疑問もなく、二枚のチップは遺伝子加工された黒ウサギにつけられることになった。亜人種をつくるための、加工用ゲノムを採取するためにつくられる個体である。ブラッキィはそんななかの一羽であった。
「白黒茶色、だんだら模様にグレーのふさふさとあるから、そこにいたという理由で無造作に実験に使ったのだろうな。そして他は死んでしまった。ブラッキィ君も死んだとみなされて社外に廃棄されたのだろう。彼は古い記憶をたどってキール君を探し出した。#5とはキール君のことだからな。ブラッキィ君はそう受け取ったんだ」
 しかし実は違っていた。リンデン氏は自分の机とロッカーをさらい、あるものを見つけ出した。見覚えのない一本のカセットテープである。失踪直前のエンライ・コーダが彼の袖机に投げ込んだものだった。がらくたで雑然としていたので、リンデン氏はまったく気がつかなかったのである。出向がかかった時も、リンデン氏は荷物の移動をおっくうがって袖机ごと運んできたのであった。
 通常はオーディオ用に使われるものだったが、もしやと思ったリンデン氏は古いデッキを倉庫から探し出してきて再生してみた。耳をつんざくような、意味のない音がひたすら入っていた。
「ジャンク屋をまわって読み出しのできる機械を探してきた。いや、大変だったよ」
 苦労して読み出したテープの中身は、ほんの少しの数字とアルファベットの羅列だった。ウォールナッツ・ブレインの遺伝子情報のようだったが、あまりにも少なすぎてリンデン氏は途方にくれてしまった。
「そこでスミノフに聞いてみることにした。何か知っているようだったのでね」
 リンデン氏は読み出したデータとカセットテープを持ち、入院中のスミノフ・ブルーアイスのもとをたずねた。#5の件だというと彼はとてつもなく嫌そうな顔をしたが、とうとうこう言った。
「社歴の長い人にはかなわない。総務の書庫に意味の分からないチップの山がある。エンライがいなくなったあとに研究棟で片付けてくれと持ち込んできたそうだが、そのまま放ってあった。特に#5に関係はなさそうだったし、いくつか見たが必要なものはなかった。あなたがたの書類を捜すのに疲れてしまったこともある。リンデンさん、これでいいかね」
「よくしゃべりましたね」
 ホーバーが言った。キール・デリも営業本部長の傲慢さを思い出して驚いた。
「なあに」
 リンデン氏が言った。
「あいつは入社時に私の部下だったのだよ。有能だったので数年後に社長直属になって、とんとん拍子に出世していきおったがね。研究室の事務仕事を教えたのは私だ」
 とにかくリンデン氏は総務に赴き、数十年間掃除をしていない書庫に入れてもらった。そこにはスミノフが言ったとおりの場所に段ボール箱に入れられ、整理もされないでチップの山が放置されていた。何百とあったが、リンデン氏は辛抱強くそれをひとつずつ確認し、とうとうそれらしいものを見つけ出した。
「ところがセキュリティロックがかかっていて中が確認できん。そこで思い出したのがあのカラーサンプルだ」
 思いついてリンデン氏は、カラーサンプルのコードをひとつずつ入力していった。三つ目のコードでセキュリティのロックが外れた。
「それがこれだ。そしてこちらはカセットテープからコピーしたものだ。どこに入るのか分からん。すまないがそちらでやってくれんかね」
 ルドワイヤン博士が二枚のチップを受け取った。そしてこう質問した。
「リンデンさんが分からないのですか」
 リンデン氏はうなずく。
「#5とも#11とも、似てはいるがまったく違っておる。たぶん抜けを埋める形で入ると思うのだが、私にはどこが抜けているかも分からんのだよ」
「分かりました」
 ルドワイヤン博士はジェナスにそのチップを渡し、読み出しをかけるように言った。ジェナスは素直にそれを受け取り、作業をするためにカフェテリアを出て行った。

 

   

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