#5と#11と#5´

 あらかた処理が終わったというので、リンデン氏とキール・デリはサイモン財団遺伝子情報研究保存センターの一室にいた。リンデン氏が例のチップを渡してから二月後のことである。キール・デリは怪我のほうもよくなって、センター内を自由に歩き回っていた。
「じゃ、始めますよ」
 ホーバーが巨大な画面の前でキーボードを叩く。ジェナスが補助に入っていた。ルドワイヤン博士は一歩下がって、彼らの作業するさまをながめていた。リンデン氏とキール・デリもその隣に並んで、巨大な画面を見上げていた。
「これが#5、これが#11です。そしてこれがエンライ氏の設計仕様書にあったものです」
 #11のみ写真が掲示された。あとはグラフィックである。#5の横にはホーバーの作成した、培養体の写真も掲示された。
「それでこれがリンデンさんがお持ちになったものです。仮に#5´と名づけておきます」
 画面いっぱいに数字とアルファベットが表示される。一面の白文字の間に赤い文字列が現れた。
「別データになっていたものは、おそらくここに入ると思われます」
 白い文字列の間を切って、赤い文字列が挿入される。しかし、とホーバーが言った。
「入る場所はここしかないんですが、入れても入れなくてもあまり変わらないんです」
 リンデン氏が言った。
「あまり変わらないとは、どういうことかね」
「じゃ、やってみます」
 画面が切り替わる。ジェナスがキーボードを叩いて情報を入力した。コンピュータで描き出されたウォールナッツ・ブレインの画像が現れる。
「これが別データのないものです」
 その画像をそのままに、もう一枚の画像が表示された。
「こっちが赤字の、別データを入れたものです。ほぼ同じです。あわせて一緒に#5、#11、設計仕様書から起こしたものも表示してみます」
 #5のみ差異があったが、他はほとんど変わらなかった。しかし#5の差異は前回確認済みであったから、ここで問題になるのは残りの四点がほぼ同じものだということだ。
「どういうことかね」
 リンデン氏が首をひねった。
「分かりません。わざわざ別データにしてあったということは、これがキーなのは間違いないんですが……どこがどう違うのか分からないんですよ」
 今度はそれぞれの特徴が一覧になって表示された。ホーバーが説明する。
「こちらが推定ですが、それぞれのウォールナッツ・ブレインのスペック表です。一番問題なのは寿命だと思うんですが、キールさん、つまり#5以外はいずれも三〜五年程度しか持ちません。リンデンさんのお話とキールさんの年齢からいって、#5´は二十年以上の長寿命であるはずです」
 ここでホーバーはリンデン氏とルドワイヤン博士の顔を見た。
「あとは実作して対比してみるしかありませんが……リンデンさん、それに伯爵もどうしますか」
「つくったあとはどうするんだ」
 ずっと黙っていたキール・デリが言った。
「結果が出たら廃棄なのかよ。どうするんだ、ホーバー」
 ルドワイヤン博士が答える。
「その通りですね。ここにはウォールナッツ・ブレインを何体も置けるスペースはありません。発生後数ヶ月で廃棄、というわけにもいかないでしょう」
「正直、あまり私も気は進みません」
 ホーバーは画面を見上げながら言った。
「しかし他に差異を確認する方法が見当たらないんです。まったく差異がないわけではありませんが、ほぼ同じなはずはないと私は思います。どうにも分かりませんが、どこかに決定的な違いがあるはずです」
 若干疲れた表情のホーバーを見ながら、ルドワイヤン博士は言った。
「どこかに見落としがあるはずです。リンデンさん、もう少しお時間をいただけますか」
 リンデン氏は答えた。
「かまわないがね。君たちも煮詰まっておるようだ。少し休憩したほうがいい」
 ホーバーがうなずく。ジェナスはコンピュータの電源を切った。
「カフェテリアに行かんかね。あそこのコーヒーはうまかったよ」
 リンデン氏にうながされ、一同は研究室からぞろぞろと出て行った。

 カフェテリアにはブラッキィとカラットがいた。キール・デリが世話を頼んでおいたのである。ジェナスはカラットのそばに座り、ブラッキィはキール・デリのところに戻ってきた。ホーバーとルドワイヤン博士、それにリンデン氏は休憩といったものの、いまだにさっきの話を続けていた。もちろん結論は出ない。
「おい、きーる」
「なんだよ」
 チップを一枚外したというのに、相変わらずの物言いであった。実はキール・デリは、リンデン氏がブラッキィを連れて行った時に少し期待したのである。態度も物言いも悪いこの黒ウサギが、もう少しおとなしくならないかと思ったのであった。
「きらきらはどこだ」
「きらきら?」
 言われてキール・デリは思い出した。
「ああ、ラフィーネでもらったやつか。どっかにあるぞ」
「もってこい」
「なんだと」
 なんという態度であろう。彼はあきれてしまったが、それでもこう言った。
「出してやるから後でいいだろう」
「だめだ。いまがいい」
「なんでだよ」
 彼がブラッキィとガタガタやっているのを見て、ホーバーが聞いてきた。リンデン氏とルドワイヤン博士も話をやめてこっちを見た。
「ブラッキィ君はなにをごねているんですか」
「ブローチ持ってこいって。うるさいんだよ」
「ブローチ? 何ですか、それ」
 三人とも結論の出ない話に飽きていたのだった。集まってきてブラッキィに注目する。
「きーるのどれすといっしょにもらったんだ。きらきらしていてすごいんだ」
「ドレス?」
「バカ、やめろ」
 思ったより大きい声が出た。あわてたがもう遅い。
「しろいどれすだ。いっかいきて、もういっかいきたんだ」
 ブラッキィの発言に、離れたところにいたジェナスとカラットまでもがこちらを見た。リンデン氏が思い出した顔になる。
「ラフィーネでつけとったやつだな。そういやキール君、もうヴィオレッタはやらんのかね」
「リンデンさん、いいかげんにしてくれよ」 
 この頃には、キール・デリはカフェテリア中の注目を集めてしまっていた。
「もうやらないって言っただろ。ザイナスは機嫌が悪くなるし、大変だったんだ」
「なんだ、もったいない」
 何ですか、とルドワイヤン博士がキール・デリのほうを見た。彼はブラッキィがしゃべるといけないと思い、急いでその口をふさいだ。
「いや、キール君は化粧をするとけっこうな美女に化けるんだよ。もうやらんなんてもったいない」
「美女?」
「リンデンさん、やめてくれ」
 しゃべってしまったのはなんとリンデン氏であった。ホーバーとルドワイヤン博士に事細かに説明をしてしまう。
「真っ白いドレス姿でな、よく似合っとった。ヴィオレッタって名前までママからもらってな」
「やめろよ、リンデンさん」
「ヴィオレッタ?」
 耐え切れなくなってキール・デリはそこから立ち上がった。
「ブラッキィ、ブローチ取ってくるから待ってろ」
「わかった」
 キール・デリが逃げ出してしまったのを見て、ありゃ、とリンデン氏が言った。
「そんなに気にしていたとは思わなかった。悪かったかね」
「まあ、嫌かもしれませんよ」
 ホーバーはちらっととなりを見た。となりでルドワイヤン博士が笑い転げていた。
「いや、あの、笑っちゃいけないんですが……ヴィオレッタですか……」
 さんざん笑い倒しているのを見て、ホーバーがあきれたように言った。
「女装をしたキールさんって、そんなに面白いですか」
「いや、まあ……」
 やっと笑いの波が収まってきたらしい。それでもくくっ、と発作的に笑いが出る。
「そんなに美人なんですか」
 リンデン氏はうむ、と答える。
「やせとるから線が細くてな。ちょっと背があるんだが」
 わりと冷静にホーバーが言った。
「でもあの人XYですよ」
「そう言えばそうでしたね」
 ようやく笑いの止まったルドワイヤン博士が話に入った。そして言ったとたん、ホーバーとルドワイヤン博士は二人同時にあっ、と言った。
「もしかして、あれ……」
 がたん、とホーバーが椅子から立ち上がる。
「不稔性の定義がありましたね。そもそもキールさん以外のウォールナッツ・ブレインは、基本的に性成熟しないので見落としてました」
 続いてルドワイヤン博士も席を立った。
「ホーバーさん、研究室に戻りましょう。XXYでやってみます」

 二時間後、キール・デリとリンデン氏は、ホーバーとルドワイヤン博士に再び研究室に呼ばれた。ジェナスは通常業務のために席を外し、その代わりにルドワイヤン博士がホーバーの補助を務めた。
「いいですか」
 ホーバーが画面に#5´を映し出した。呼ばれたキール・デリとリンデン氏は思わずその画面に見入ってしまった。
「これがエンライ氏がつくった本当の#5です。おそらくこの配列で合っていると思います」
 画面に映し出された生き物は真っ赤だった。肌だけでなく、ついている昆虫の翅も赤い。そして今までのように細いものがまばらに生えているのではなく、それこそ鱗のように、大きく広がった翅がびっしりと表面を覆っていた。
「サイズとしては縦横とも#11の倍にはなります。耐久性、耐候性も高いです。実作していませんので分かりませんが、ケージ内ではなく場所によっては屋外への設置も可能なようです。そのための昆虫の翅でしょう。寿命は三十年以上にもなるようです」
 こころなしか、ホーバーの顔色はよくなかった。
「#5、#11との違いですが、一番顕著なのは外皮です。見たとおりに真っ赤ですが、それだけでなく成長しきると硬化します。またこの翅が隙間なく周囲を覆うため、外傷からも身を守ることができ、ちょっとやそっとでは傷つきません。まさにウォールナッツ・ブレインです」
 そして、とホーバーは話を続ける。
「この突起のある頭頂部ですが、後頭部の頭骨がパネル状に分かれるようにスリットが入っています。外皮もこの部分は軟らかいままで硬化しません。つまり、簡単に脳へアクセスできるようになっているわけです」
 ルドワイヤン博士が画像を切り替える。フロントからサイドへ、そして後部へと画像が回転した。また正面の画像に戻る。それから今度は画面いっぱいに塩基配列が表示され、白い文字列の間に赤い文字列、そして新しく青い文字列が現れた。
「この別データの部分は、XXYに紐付けられます。つまりは性染色体がXXYでないと発現しないということです」
 呆然と画面を見つめていたリンデン氏が言った。
「やはり、完成しておったんだな」
 ホーバーは説明を続けた。
「ウォールナッツ・ブレインは神経系制御に特化した形です。脳にソケットと思われる接続網がおよそ五十以上も付帯していました。そこへ親生体素子を直接繋ぎこむのだと思います。この機構は#5にも#11にもついていません。そのためにこの大きさになったようです。軍用とのお話でしたが、かなり巨大な、それこそ空母クラスの建造物に組み込むように設計されていると思われます」
 また最初の画像に切り替わる。
「一応完成になりましたが、どうしますか」
 リンデン氏にホーバーはたずねた。
「分かればよい。エンライが本当は何をつくったのか、知りたかっただけだからな。私はこのデータはいらんよ」
「そうですか。キールさんは何かありますか」
 言われてキール・デリは答えた。
「これが本当の#5なんだろう」
「そうですね」
 彼はもう首にかけてはいなかったが、ポケットにしまってあったプレートを出して言った。
「じゃあこのプレートはなんだったんだ。ここには俺の名前がある。いったい俺は何だったんだ」
 ホーバーはリンデン氏とキール・デリのことを交互に見た。
「なんとなく分かりますよ」
 けげんな顔のキール・デリにホーバーは言った。
「エンライ氏はこのデータを消せなかったんです。よくできていますからね。だからキールさんを組み上げて#5のナンバリングを振って、持ち出したんですよ」
「ホーバー、全然分からないぞ」
 ホーバーは続けた。
「エンライ氏は同時にこれがどう使われるのかも知っていましたから、会社側には渡せなかったんです。でも心情的には消せませんし、せっかくの研究の成果がまるでなかったことになってしまうのも嫌だったんでしょう。そこでキールさんを組み上げ、中に骨格になる情報を封じて持ち出し、手元に置きました。キールさんに戸籍があるのは罪滅ぼしだったんじゃないかと思いますよ」
 じゃあ、とキール・デリは言った。
「俺も実験だったのか」
「最初はそうだったのかもしれません。異種化RNAの封じ込み個体としては、キールさんはかなりの完成度になりますから」
 ここで口を開いたのは、さっきから黙って話を聞いていたルドワイヤン博士だった。
「だけど、キールさんは愛されていたんですよ。私はドクター・サイモンのことを父とは呼べません」
 腕組みをしたまま話す口元には、つくりものの大きな犬歯が見える。左右色違いの目を伏せながら、ルドワイヤン博士はこう続けた。
「戸籍があって、学校に行けて……普通、研究者たちは手持ちの実験体にそんなことをしないんです。実際ドクター・サイモンが死ぬまで、私はあの屋敷、いやあの部屋からも、出たことはありませんでしたから」
 情が移れば実験などできない。それもあって個人所有の実験体達は、たいていが過酷な運命をたどる。
「たぶん、もとから実験などする気はなかったのでしょう。設備も何もなかったはずです」
 キール・デリの住んでいたアパートは狭いものだった。台所と風呂場と寝室、それに父子がいられるだけの小さい部屋があるきりであった。キール・デリが起きるともうエンライ氏は仕事でいなかったから、彼は毎朝自分で朝食を用意して、それを食べて学校に行っていた。そしてエンライ氏は暗くなった頃に帰ってきて、一緒に夕飯を食べながら彼が語る今日のできごとを聞くのだった。
「もし実験をしているのであったならば、それはキールさんがごく普通に、つまり人間として育つかどうかだったと思いますよ。でもエンライ氏が子供を育てているつもりならば、それは実験でも何でもないことではないでしょうか」
 ルドワイヤン博士はこう続けた。 
「このボディの基幹データはドクター・サイモンの遺伝子情報です。つまり遺伝的には父親です。けれども私はあの人を決して父とは呼べません。この顔は逃走防止のためなんです。あの人にとって、私は最後までただの実験体でしたから。私を育てた人間はいても、私に親はいないんです」
 ホーバーは彼から譲られた、あのすさまじい実験記録のノートを思い起こした。ルドワイヤン博士もそのことを思ったようだった。
「自宅に記録があります。ホーバーさんの手元にも少しあります。キールさん、後で見せてもらうといいと思いますよ」
 ホーバーが心配そうにたずねた。
「いいんですか」
「かまいません。サラティア社は不老体から手を引きました。各企業も同様です。あのノートはデータとしてホーバーさんが使ってください。もう実験は終わったんです」
「……分かりました」
 言いながらホーバーはまた画面を切り替えた。その表情はさえない。
「リンデンさん、このデータはいらないんですね」
「ああ。チップだけ返してもらえばそれでかまわんよ」
 それを確認すると、彼はこう言った。
「ではこのデータは全部消します。それでいいですね」
 思わずキール・デリはホーバーの顔を見た。思いつめた表情で、ホーバーはこう続けた。
「今、私はエンライ氏の気持ちもドクター・サイモンの気持ちも全部分かるような気がします。実験室に駆け込んで、こいつを組み上げてしまいたくてたまらないんです」
「ホーバーさん?」
 驚くルドワイヤン博士にホーバーは言った。
「これで何ができるのか、どれだけ生きるのか、組み上げて実験をしたくてたまらないんです。接続網がちゃんと働くのかも知りたいし、どれだけの負荷に耐えられるのかもやってみたいんです。#5や#11との対比実験もしてみたい。これほど完成度の高い亜人種のデータはめったにお目にかかれません」
 おそらく、とホーバーは言った。
「エンライ氏も同じだったと思います。けれどもこれはつくってはいけないんです。私にはこれを制御できる自信はありません。いや、誰にも制御できないでしょう。もし空母に組み込んだこれが暴走したらどうなりますか」
 最初はいい。けれども扱いきれなくなった時にどう処理するのか、そもそも処理できるのかすら分からない。ホーバーはそう言った。
「あのサラティア社の隊長は、キールさんと伯爵を化け物と呼びました。しかしこれは怪物です。プログラムを間違ってしまうと対話もできないでしょう。話し合いのテーブルに着くことすら不可能なんです」
 退化処理をしても感情は残る。そして処理された分だけ、その感情は幼いのだ。
「ここの設備があればこれを組めるんです。そして私はこの前、キールさんと#11の所有者登録をしましたから、やろうと思えば誰にも何も言われずにできるんですよ」
 ホーバーはキーボードをじっと見た。そしてルドワイヤン博士を振り返って言った。
「しかし、それをやってしまったらドクター・サイモンと同じことです。そして一度やってしまえばそこから先は際限がありません。そのうちに何も思わず、自分のためだけに何でもできるようになります。伯爵、そうではありませんでしたか」
 ルドワイヤン博士の答えはなかった。ホーバーは感情のままに言葉を続ける。
「私はそうなりたくはないんです。だから全部消します。伯爵とキールさんで消去のチェックをお願いします」
 言いながらホーバーは片端からデータを呼び出し、消していった。まず画像が、それから遺伝子コードが消されていく。数列の断片も、計算に使った数式もすべて消していった。次に研究室にあったノートパソコンを起動し、その中もきれいにさらっていく。ルドワイヤン博士が座っていた補助用のコンピュータも、中を確認してすべての情報を消去した。
「終了です。チェックをお願いします」
 ルドワイヤン博士が各コンピュータ内でファイルを探す。キール・デリは見ているだけだったが、やがてルドワイヤン博士が「全消去済みです」と言った。ホーバーは二枚のチップをリンデン氏に渡すとこう言った。
「すみませんが少し休みます。伯爵、後をお願いできますか」
 がっくりと疲れた表情だった。ホーバーはふらふらと椅子を立ち、研究室から出て行った。

 

   

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