ウルタールからの半月ばかり過ぎたところに

〜三・月下にピアノを演奏する三賢者〜

 ほの暗いステージに、三人の賢者がいる。いずれも髪は白く、額には年月がしっかりと刻まれていて、その顔には穏やかな微笑みが見える。月光が彼らの手元を照らし、そこだけが昼のように明るい。
 一人が譜面をめくる。後の二人も同じように譜面をめくる。指揮者もいないのに、一斉にピアノが響き出す。一台のピアノが歌う。
「我に栄光を」
残り二台が続く。
「我らに栄光を」
 三台のピアノの脇に、三人の譜めくりの少女が現れる。彼女らはまったく同じスピードで、乱れることなく飛ぶように譜面をめくって行く。いや、演奏者のスピードが速いのだ。彼女らはそれに合わせているに過ぎない。
「我らに進歩を」
「我らに勇気を」
「我らに世界の平和を」
 まったくその通りだ。先ほどは見えなかった聴衆が、彼らの演奏に拍手をする。
「我らに幸せを」
「我らに夢を」
「我らに愛を」
 音楽はさらに加速していく。もはや譜めくりの少女達は間に合わない。いや、奏者である賢者達ですら、その旋律を乱さぬようにするので精一杯だ。あまりの速さに聴衆からさえ、不審の声が洩れる。
「どうした」
「我々の希望を歌っているはずではなかったのか」
どこかおかしい、人々はそう思いはじめる。音楽は消費され、気が狂ったように先へと進み、歌いつづける。
 そのうちに違うものが混じり出す。悲哀、貧困、狂信、恐れ、不安……こういったもろもろのものが、主要な要素を占めるようになる。音楽の質は劇的に変わり、聴衆を恐怖のどん底に叩き込んでいく。
 この先に待っているのは死だ。聴衆はそのことに気づく。ドラマチックに音楽は、希望の先に見え隠れするものを歌いつづけ、人々の際限ない要求の先に見えるものを指し示す。月だけがこうこうと明るい。
 何かを叩きつける音がして、急にピアノが止んだ。中央の奏者が、勝手に動きつづける指を鍵盤の蓋ではさみ、その動きを止めたのだった。左右の二人もほっとした顔をして、自走しようとする音楽を止める。聴衆は安心し、最初に音を止めたその勇気を称えた。
 だが中央の奏者は厳しい表情をしている。彼にはもう二度とピアノは弾けない。指を傷めたからではなく、自らの指し示す先に何があるのか分かってしまったからだ。迷走する彼の音楽を止める者は、誰もいなかった。皆、なんの不安もなくただただ付いてきただけであり、自らが滅んでもその盲従に気づくことはない。
 仮に我々がここからいなくなってしまっても、月だけは永遠にあるだろう。月はそこに何の意味も見出さない。

 

  

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