ウルタールからの半月ばかり過ぎたところに

〜序・夜毎に訪れる幻影のこと〜

 今日も鎖に繋がれた少女が私を訪れる。その細い足首のくびきを断ち切ってやり、汚れた傷跡をそそいでやれたら、どんなにかよいことだろう。背中にせおった白い翼は、彼女が天に帰れる者のしるしでもある。
 彼女はいつも深い森の奥にいて、天から墜落した姿のままに、大地に繋がれている。そこへ狩りの若者が現れ、彼女を追い立てるのだ。
「助けて!」
 そう叫ぶ少女を若者が追いかける。逃げても彼女は易々と捕まってしまう。少女の手首をとらえ、魅入られたようになって若者は彼女を抱きかかえる。そうして叫ぶ。
「俺が捕らえた! 俺のものだ!」
この頃には少女はすっかりおとなしくなり、若者の腕の中で震えている。
「離して……お願いだから」
懇願し、泣きじゃくる少女を見ても若者は手を離そうとしない。彼女が逃げ出さないようにしっかりといましめてしまう。
 いつのまにか大地の鎖は外れているが、彼女は別の鎖、男の腕に捕まっている。さっきまであった翼は消えかかり、もう空を飛ぶことはできない。それを見届けて男は安心し、少女の涙を拭いてやって、恐がらなくていいと言う。
 どうやってこの、怯え震えている美しい少女を手懐けるか、若者はいろいろと考える。この娘がいれば、彼の生活は豊かになる。今は泣いているが、少女が笑い、彼のとなりにいてくれれば、彼はありとあらゆるものをこの娘に与えようとするだろう。彼女さえいれば何も惜しくない、若者はそこまで考えている。
 しかし、若者の前には敵が現れる。それは権力だ。彼の上に立つ者は若者の戦利品を見つけ、それを差し出すように命じる。とんでもないことを命じられ、彼は必死になってそれを拒否する。
 深い森の奥で、血みどろの戦いが始まる。若者が負ければ少女は奪われ、どこかへ売り飛ばされる。もしくは権力者の夜伽を命じられ、どちらにしても彼の元にはかえってこない。それならいっそ、と若者は自分の属する世界に反乱を企てる。彼女がなくてはここにいる意味がない。
 若者にとってこの少女は、それほどの意味合いを持つようになっている。自分の世界の外側にあるもの、それがこの娘だ。この天から落ちてきた娘は、どこかに何か大きな繋がりを持っている。それが何かは分からないが、今までの自分をひっくり返すようなものだ。若者は直感的にそれに気づき、彼女を手放すまいとする。
 年降りた権力者は彼の反逆をせせら笑い、追い詰めていく。少女は逃げもせず、ことの成り行きを見守っている。陶器の人形のようにただそこにあって、自分をめぐって二人の人間が争っているのを呆然と見つめている。
 権力者のナイフが若者の胸を切り裂く。大量の鮮血がほとばしり、少女に降りかかる。森も、空気も、大地も赤く染まり、血に揺らぐ。
 少女が悲鳴を上げた。少女ではない違うものに変わり、悲鳴を上げ続ける。空気が揺れ、世界が崩壊する。大地が赤い血を、水の代わりに吹き上げる。変化した少女はもはや少女ではない。彼女が維持してきたこの世界は終わりを迎える。

 私は見ているだけだ。壊れたこの世界を再生するのは私ではなく別の者だ。まだ新しい者は現れない。それまで私は、この赤く染まった風景を見ていなくてはならない。

 

 

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